真の芸術家・工藤哲巳

篠原有司男(映画「キューティー&ボクサー」は記憶に新しい)や荒川修作など、いわゆる1960年代の「反芸術」の芸術家たちがなんだか気になるお年頃。塚本史の『荒川修作の軌跡と奇跡』の冒頭を少し読んだだけで、荒川修作のおもしろさが存分に伝わってきた。「自己と他者」が二項対立ではないかもしれないという可能性や「死なない身体」という言葉を提示する荒川修作は(まだ冒頭ゆえ詳細は知らないが)、僕の興味ど真ん中。偶然、「自己と他者」をわける"常識"に僕たちは生きているけど、その常識は近代国家が成立する(あるいは「させる」)ために創り出された論理かもしれない。そういうのは、すごくおもしろい。

さて、荒川修作に続いて「反芸術」をもっと知りたい!と思わせた、その決定打は、工藤哲巳という男であった。彼は僕が思う「芸術家」の代名詞となるかもしれない。それはつまり、芸術とは、感情的・無意識的な欲望を理性の力によって社会との接点を持ちえるようにする行為である、というモノで、理性の力=芸術的技法や人々が納得する・おもしろいと感じるアイデアである。例えば、個人的な欲望や醜い欲望を、美しいモノに変えることで、社会の人々の興味・関心を引くことができる。社会との接点とは、人々の承認である、とも言える。

以下、「グロテスクすぎてもう直視したくない…」から「これぞ僕が理想とする芸術ぞ」という感想にまでひっくり返してくれた、東京都国立近代美術館で開催された『あなたの肖像―工藤哲巳回顧展』の感想である。

工藤哲巳の作品は、悪趣味の極みだ。絶対にデートには向かない。チンコ目ん玉脳みそ奇形等々のオンパレードで、工藤哲巳の「インポ哲学」なんて「どこぞの中学生だよ」という感想を持ってしまったほどである。しかし、展示会冒頭のジャクソン・ポロックのような絵画作品は、ポロックよりも絵の具のマチエール(絵の具の質感とも。絵の具独特の「塗ったった」感)がデコボコでテラテラしていたので、好感でした。その隣の汚い縄が存在感を示していた作品も、ぐちゃぐちゃ絵の具(=ジャクソン・ポロック風)のマチエール(デコボコ)が、縄へと繋がっていったということは、美術史の流れとして納得のいくもので、これまた好感度。その先の車輪?に細いカラー縄が巻き付いている作品もよかった。ジャクソン・ポロックフランシス・ベーコン、ジョセフ・クーデルカ等々、外れの少ない(というか、ない)東京都近代美術館なので、「これまたいい展示っすなー」とご満悦でホクホクしていたのだけど、1960年代あたりのフロアーに来て、その感想は一変。グロいグロいグロい、とグロテスクゾーンすぎて、悪趣味系がなんだかんだで惹かれちゃう!だなんてロンドン旅行で思ったのもつかの間、悪趣味すぎてじっくり観たくないモノばかり。干からびた人間たちがリゾートしてる作品なんて、ゾッとするような赤ちゃんの泣き声とあいまって、もうここまでグロくて不快で不安に思った作品(あるいは空間)はありませんでした。その後も、脳みそと目ん玉の作品が続き、「もう勘弁して…」と食傷気味になっていたところで、「あ、でもこれは色がきれいだなー」と思う作品がチラホラと現れ始めました。

こういうの、とか。

http://www.museum.or.jp/uploads/imdb/file//event/00081355/00081355.jpg

 

そして、三重くらいの檻に閉じ込められた目玉の作品を皮切りに、一気に「芸術」へと進化します。そして、それは初期作品に観られた色合いと縄(紐)のモチーフであり、60年代のグロテスクとあわさって、工藤哲巳の真骨頂に達します。圧巻なのは、イオネスコが鳥籠に閉じ込められている作品がずらーと並ぶエリア。(一応、動画あったので、載せとく→東京国立近代美術館 あなたの肖像 ― 工藤哲巳回顧展 - YouTube)グロテスクなのは相変わらずなのだけど、鳥籠にまとわりつく糸のグラデーションがむちゃくちゃ美しいのである。挙句のはてに、哀愁ただようイオネスコがその美しい色彩の糸をつかって編み物をしている作品は、ほんとうに心惹かれるものがあった。もちろん、グロテスク要素は残っているにも関わらず、である。芸術、とりわけ現代アートの理想像を、工藤哲巳の1970年代の作品に見出す。「おいおい、大丈夫かよ…」と不快にさせるようなグロテスクやら「インポ哲学」という卑猥なモチーフを扱っていた芸術家が、ここまで美しいモノを生み出せたことは「よくぞやってくれました!」と褒め称えたくなるレベル。しかも、初期作品にも見られる工藤哲巳の色彩の好みが、終盤作品にも反映させられていて、美しさの技法ですらも自分の好みに依拠すべき、と考える僕にとって納得のいく作品たちでした。東京都近代美術館の展示順・展示の仕方も秀逸だったかも。どうでもいい、あるいは人々が目を逸らしたくなるような欲望や事実に、人々の関心を集めるためには美しさが必要なのである。そのために、芸術家は美しさを追求するのではないか。そして、それを実現したひとりの芸術家が、工藤哲巳であった。

作品に関しては、グログロが多いので興味がある方は各自で検索をば。