村上隆はなぜストリートアートを始めたのか? “サンプリング”する現代美術家たち
“ストリートシーン”が広がっている。
それは、たとえば、
10代を中心としたMCラップバトルの盛り上がり、
ストリートファッションがマスに届き始めていて、
海外ではヒップホップの手法のひとつである“トラップ”が流行し、音楽シーンをラッパーたちが席巻している。
あと、全然関係ないけど、「インスタスポット」として街中のグラフィティが注目されてるのもおもしろいなと思った。
調べたらむちゃくちゃカッコいいグラフィティをやってる人たちがいて、勝手にテンション上がったりとかしてる。
コレ↑とかむちゃくちゃカッコよくないですか?
社会的にも、
僕個人としても、
ストリートカルチャーの熱量が高まっている中で、
「なんでだろう?」という素朴な疑問。
村上隆といえば、ご存知のように、アニメや漫画などのオタクカルチャーを現代アートに組み込んで、世界的に評価されている現代美術家です。
↑こういうやつ。
とはいえ、もともと、グラフィティは好きだったようで、Kaikai Kiki GalleryやHidari Zingaroといったギャラリーでグラフィティアーティストの展示会も企画・発信していた村上隆。
村上隆がグラフィティを始めて、しかもコレが「めっちゃカッコいいじゃん」となったのだけど、オタクカルチャー → ストリートカルチャーの流れが正直理解できず(五百羅漢図はややこしくなるので一旦なしで)、「なんでだろう?」と不思議でした。
「なるほど」と思ったのは、この記事のおかげで。
欧米のファッションシーンにおいて大きな変化が起こっています。
それは、ストリートファッションの侵略。
サブカルチャーであったストリートファッションに、メインカルチャーであるハイファッションが接近しているという社会的な流れ。
代表的な事例は、日本でも話題となったSupremeとLouis Vuittonとのコラボです。
再び登場──LOUIS VUITTON x SUPREME - オンライン・マガジン「LV NOW」|ルイ・ヴィトン公式サイト
いろいろな見方があって、いろいろな事情があるけど、
そもそも、村上隆もLouis Vuittonとコラボした過去があったりもするわけだけど、
なによりも、この「サブカルチャー」と「メインカルチャー」の関係性こそが、村上隆がアート作品として表現しているコトのひとつです。
つまり、
現代アートというハイカルチャーに対して、アニメや漫画のサブカルチャーを武器として背負い、
そして、欧米中心主義の現代アートシーンに、非欧米人である日本人として闘いを挑みました。
欧米独自の理論構築によって堅牢なシステムと化している現代アートシーンに対して、村上隆は、むしろメイン(欧米)とサブ(アジア)の構造を戦略的に利用し、ハックして、メインカルチャーのシステムに対して一撃をぶち込んだ。
だからこそ、ストリートファッション(サブカルチャー)が、ハイファッション(メインカルチャー)に侵食した現象に、村上隆は正しく誠実に反応した。
という結論なんだけど、
このあともう少し詳細に語っていきます。
・村上隆の“サンプリング・アート”
まずは、欧米が支配するアートシーンにおける村上隆の戦略(立ち位置)について。
1980年代以降、欧米のアートシーンでは、「シミュレーショニズム」という表現手法が流行っていました。これは「印象派(ゴッホ)」とか「ポップアート(アンディー・ウォーホル)」みたいなアートのジャンルのひとつだと思ってくれればいい。
「シミュレーショニズム」は、「あなたが観て感じた唯一無二の世界を描け」みたいなゴッホなどの19世紀を経て、大量生産大量消費という「オリジナルよりもコピー」に対する需要が高まった20世紀に生まれたアイデアです。
例えば、バッグが大量に生産されて誰もがバッグを所有できるようになると、今度は自社のバッグを買ってもらうために他社との差異をつけるため、いわゆる“ブランド”が生まれました。
“ブランド”とは、物体ではなく、イメージや記号です。
そういったイメージや記号に注目して、それらを利用(正確には、コピー、盗用、引用 ※1)して新しい作品を生み出すという試みが「シミュレーショニズム」です。
(※1 ちなみに、今回はストリートカルチャーの話でもあるので、本記事については、1970年代以降のヒップホップから生まれた“サンプリング”という単語を使うことにします)
例えば、20世紀において成功した現代美術家のひとりであるジェフ・クーンズも、「シミュレーショニズム」の美術家です。
Jeff Koons - Artwork: Balloon Dog
「キッチュ(「けばけばしさ」や「古臭さ」や「安っぽさ」)」というキーワードで語られることの多いジェフ・クーンズの作品は、大量生産大量消費社会において生まれた(アメリカの一般家庭の)どこにでもありそうなオモチャなどの“イメージ”を現代アートにサンプリングした。
「じゃあ、日本人ならどういうシミュレーショニズムを行うべきか?」と、村上隆が問いを立てたかどうかは知らないけど、彼がサンプリングしたイメージこそが、日本のアニメや漫画の“イメージ”や“記号”です。
Hardy vs Core-Boy
— 🇯🇵日本語ラップ🎤極上MCバトル (@HIPHOPANTENA) 2018年2月15日
cho wavy de gomenneのサンプリングするCore-Boyがかっこよすぎる pic.twitter.com/RvILZx4I2i
ヒップホップでは、サンプリングという手法があり、過去あるいは最近流行っている楽曲やほかのラッパーの発言を、現状のシチュエーションに上手く置き換えてラップすることで、高く評価される文化があります。
ともすれば、文脈依存しがちで、「知らないとわからない」ことになってしまうけど、そこの情報の重なりを楽しむ高度な遊びは、一種のゲームとして、現代アートやヒップホップの魅力のひとつに思えます。
・サブカルチャー側であることを徹底的に演じること
情報の重なりという視点で言うと、
村上隆は、さらに、遠近法を主とした欧米の空間把握に対して、日本独特の平面的な空間把握を提示するという対比を重ねています。
そうすることで、日本人ならではの作品として、ほかの欧米の現代美術家との差別化を図った。
また、現代アートに対するアニメや漫画などの“ハイカルチャーとサブカルチャーの関係性”に加えて、現代アートの中心地である欧米に対する日本という“中心と周縁の関係性”といった「あなたたち(欧米人)からは決して生まれない表現、その差異」を徹底的に強調することで、作品のオリジナリティを獲得しました。
(「村上隆完全読本 美術手帖全記事1992-2012 (BT BOOKS) P89」より)。
この引用部分の前後のインタビュー内容からも想像するに、現在のアートシーンは、やはり欧米中心であり、日本人であることがすでにハンデを負うことになるのかもしれない。
だから、そうであることを利用して、(言い方は非常に悪いのだけど)イエローモンキーとして、戦略的に表現活動を行なっている。
だからこそ、欧米のファッションシーンで起こっていたサブとメインのムーブメントに反応し、その要素を作品に組み込むことはブレのない一貫したパフォーマンスとなる。
村上隆は、グラフィティ文化をサンプリングすることで、サブとメインの関係性を表現し続けている。
あるいは、そこには、1980年代に時代の寵児となった黒人のグラフィティアーティストであるジャン=ミシェル・バスキアとも重なる部分もあるように思う。
早世の天才画家 Jean-Michel Basquiat(ジャン=ミシェル・バスキア)の作品と生涯
イエローモンキーだなんていう時代錯誤な言葉を使ったけど、ある種のトリックスターとして、2008年には『タイム』誌が選ぶ「世界で最も影響力のある100人」に選出されたりとかむちゃくちゃカッコいいんですよ...!
また、大量生産大量消費によって「ブランド」が生まれ、そして、「シミュレーショニズム」が生まれた歴史をふまえると、村上隆がLouis Vuittonとコラボしているのは、皮肉が効いてるというか、共犯関係的な遊びにも感じられて、大人ってカッコいいなーと思いました。
ちなみに、「シミュレーショニズム」の作家であるジェフ・クーンズもLouis Vuittonとコラボしています。
オタクカルチャーや五百羅漢図など、日本を軸とした作品を手がけてきた村上隆が、今回のストリートアートによって、そこから脱して、より広い主語でサブとメインの構造を扱えるようになったと思っています。
・注目のグラフィティアーティストたち
あと、コレは完全にぼくの予想というか、村上隆ファンなので深読みしすぎでは?という感じでもあるんだけど、上記のグラフィティアートの制作過程で、日本のアートシーンの問題をも作品に重ねていると思ってて、それがすごいなと。
日本のアートシーンの問題は、シーンを成立させるほどにはアート作品が売れないということにある。
結果として、美術系予備校や貸し画廊といった美術家になりたい人を対象にしたアートビジネスが欧米と比べて発達している。
ギャラリー運営や若手アーティストの登竜門的な祭典『GEISAI』などを通じて、若手の育成・発信にも挑戦していた村上隆にとって、自作品にほかのグラフィティアーティストを起用することは、育成としても発信としても無駄がないように思える。
大事なのは、技術や思想もだけど、海外のマーケットに食い込むためのコミュニケーション能力、つまり“社交力”であって、経済界で財を築き上げた富豪や巨額のアート作品を売り歩くギャラリストといった“曲者たち”を相手に「いいね!」って言ってもらうための立ち回りが大事なのかもしれない。
左が村上隆の作品に参加しているグラフィティアーティストのMADSAKI。
村上隆の作品に関わることは、クレジットとして若手作家のプレゼンテーションになるし、同時に、オープニングパーティーにも呼ばれて実際の社交の場に参加できたりもするので、そういう意味で、新しいアプローチだと思ってる。
日本のアートシーンがいまひとつ閉塞感から脱しきれないのは、それを打破するためのコネクションがないからで、欧米で認められたからこそ成せる村上隆の方法論は、日本の現代アートシーンとの対比としてもおもしろいアイデアです。
以下、せっかくなので、Hidari Zingaroで開催された展覧会と、
そこに参加してたカッコいいグラフィティアーティストの3人を紹介して終わります。
あと、ほんと全然関係ないけど、
KAI-YOUの記事で、SEEDAが「登録者数10万人越したら村上隆さんに来てほしい」って言ってるのむちゃくちゃおもしろいのでぜひ実現してほしいと思った。