僕はヒーローになりたいんだ
僕は「人生楽しく!」という生き方が共感できない。自分が楽しいと感じることを追い求めた先に、理想の自分が待っていると信じられない。「お前は物事を斜に構えて見ている」と言われたらそれはそうで、しかも、よく言われます。自分でもどうしてこうなったんだろう?と疑問だったのだけど、バンコク旅行の帰りに観た「アイアンマン」というアメコミ映画を観て、「ああ、そういうことか」と納得感が生まれた。
かっこよく、でも幼稚に言ってしまえば、「僕はヒーローになりたいんだ」。かっこいい生き方について、それを意識し始めた頃からずっと頭のなかにひとつのイメージがあって、それは「ぐちゃぐちゃになりながらも、重圧に負けそうでも、泣きながらでも、それでも、自分が信じた想いや現実を貫き通すこと、ヒト」、そんなイメージ。「アイアンマン」のトニー・スタークを観て、自分は傷つき逆境に追い込まれ、それでも必死になって愛する者のために闘う姿がかっこよいと感じた。昔から「ヒーロー」という言葉は好きだった。だから、「ピンポン」や「ZETMAN」といった作品に惹かれていたのかもしれない。子どもの頃、なんどとなく、突然宿った超能力で好きな女の子を救う妄想をしたことか。
そして、僕のヒーロー像は、
凶悪な敵と対峙して、
その強さの前に傷つき地面に膝をつく。
しかし、瓦礫の中からゆっくりと立ち上がり、
たとえ頭から血を流し口から血反吐を吐こうとも、右手には剣を強く握り締め、
立ちふさがる強敵を睨み上げ、魂の雄叫びをあげる。
そういう「かっこよさ」が、僕を掴んで離さない。
子どもの頃から好きだった漫画の影響だろうなあ、とも思っている。
そう確信してから、大好きだった『封神演義』を買い直したけど、やっぱりそこには血反吐を吐いてでも立ち上がるヒーローがいた。そして、「人生、好きなコトをする!」よりも「何か、トラウマとさえ言えるような、使命感に囚われた物事に打ち込むこと(=レオリオタイプ)」がよいのではないか、とずっと感じていて、その理由もわかった。『封神演義』の太公望師叔は、羌族弾圧という悲惨な歴史を背負って、そういう悲劇がもう二度と起きないように仙人のいない人間界を作ろうと必死に闘う。その姿には、「好きなことをする!」という人生よりも、儚さや危うさがあって、僕はそれを「美しい」と感じる。ともすれば、(『封神演義』の敵キャラ・聞仲のように)その使命感が時代と錯誤したとき、美しくも悲劇的な人生へと突き進むことになるのだけど。だからこそ、僕はカズオ・イシグロの『日の名残り』が好きなのだし、あるいはヒトラーに興味があるのだし、『ダークナイト』のジョーカーを尊敬するのかもしれないし、ジョン・ポールが登場する『虐殺器官』を愛するにちがいない。きっと、僕はヒーローになりたいんだ。それは今も昔も変わらない。
ちなみに、ヒーローといえばアメコミでしょ!と、ジョーカーが登場し、かつ評判がすごぶるよい『バットマン:キリングジョーク 』を安いかな?と思ってまんだらけで買おうと思ったら3倍に値上がって9000円くらいでワロタ
あ、amazonなら安い。
バットマン:キリングジョーク 完全版 (ShoPro books)
- 作者: アラン・ムーア(作),ブライアン・ボランド(画),秋友克也
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(※ちなみに、「何か、トラウマとさえ言えるような、使命感に囚われた物事に打ち込む人生」を、「友人が病気だったときお金がなくて救えなかったから(トラウマ)そういう子どもを治してお金はいらないぜ?っていうのが夢」と語っていたレオリオっぽい(HUNTER×HUNTERのキャラ)ので、レオリオタイプと呼んでいます)