人知れず妄想した世界があるやつは強い。大童澄瞳『映像研には手を出すな!』
↑漫画です、むちゃくちゃおもしろいです。
以下↓の試し読みで、「なんだかおもしろそうだな」と思った方はとりあえず読むべき。その期待値の3倍はおもしろいから。ソースは僕。
ストーリーとしては、
日々「最強の世界」を妄想している(しかも一つじゃない)設定厨女子・浅草氏と、
儲け話が大好きでクレバーな軍師系女子(美脚)・金森氏と、
カリスマモデルで爆大富豪なのにアニメーション(動き)に異常な熱意を見せる女子・水崎氏
の女子高生3人がどんちゃん騒ぎを繰り広げるアニメ制作漫画。
作家は、大童澄瞳さん。現在、23歳。
お前は、風車が回っていることに感動したことがあるか?
「最強の世界」をアニメで実現させたい!という女子高生が様々な困難を乗り越えてそれを成し遂げるという王道のストーリーなので、1巻の「こいつら、予算なくてもやるタイプじゃん」というセリフにはもうニヤニヤしまくりです。そこに辿り着くためのセリフのないコマや鑑賞後の観衆の描写は、感情の高鳴りをひとつひとつ丁寧に積み重ねてじわりじわりとくるように上手く演出されていて「ああ、こいつらまじでやべえもんを作ったんだな...」とむちゃくちゃ胸が熱くなる。
つまり、単純な話、漫画としての見せ方がすげー上手い。
このコマで、あるいはこのストーリーで、読み手にどういう印象を与えたいか?というキャラの表情やコマ割りがすごく上手い。暴力的に上手い。
いま、コレ書いててふと思ったけど、
この漫画は、たぶん、セリフがなくても成立すると思う。
少なくともある程度の感慨は得られると思うし、例えば「1巻丸ごと試し読み!ただし、一切のセリフなし!」とかでも購入者爆増するんじゃねーかなってぐらいすごいし、いやソレは完全に思い付きだし漫画の技術的な話はそこまで詳しくないけど、そう思っちゃうぐらいやばいよ!っていう話です。
っていうのもさ、1巻の中盤で風車が回るシーンがあるんだけど、このシーンがむちゃくちゃカッコいいんですよ。人生で初めて風車が回ってることに感動した。風車やばいって思った。
完璧だ、と思った。
一枚絵としてのカッコよさがまずあって、
それをよりカッコよく魅せるための、導入としての、ひとつ前のページがまた素晴らしい。
トンネルをくぐって、
広い空間に出たというイメージが生まれて、
「これが我々の作る、最強の風車だ」という浅草氏のセリフと表情を経て、
最後に、“舞うもの”が舞い、巨大な風車が回っているシーンが現れる。
この一連の流れがもう暴力的に上手い。
漫画のコマ割りとか、その他なんか色んなモノがむちゃくちゃ上手い。
やべえ!風車カッコいい!と感動せざるをえない。
そして、
完璧だ、と思った理由がもうひとつ。
「滝!?」
「今からですか」
(中略)
「担いで走れ!爆発するぞ!」
「なぬ!?」
by大童澄瞳『映像研には手を出すな!』
というこの↑会話が、この漫画のスゴさのすべてを表しているんだけども、
そもそも、風車のシーンは、金森氏が浅草氏に対して「風車のプロペラが回っているアニメーションを作れ」と命令したのがきっかけであって、“滝を描く必要性は一切ない”。
なのに、浅草氏は、飛行船で団地に突っ込み、大爆発のなか、命からがら逃げ出してまで、滝を作った。
「私の考えた最強の世界を描きたい」という浅草氏の言葉に嘘偽りはなくて、
風車が回るシーンを描きながらも、それに飽き足らず、風車が存在している世界そのものも描く。
「最強の世界」のためだけに、ただただ純粋に己のすべてを注ぎ込むその姿勢や過剰さは、まさにそれこそがクリエイターであって、ほんとうに、ほんとうにカッコいい。
浅草氏には誰に言われずとも実現したい世界があるんだよ。そこに向かってただひた走る。そういうモノがあるやつは、強いし、カッコいいんだって改めて思った。
だからこそ、この風車が回るシーンは、『映像研には手を出すな!』の象徴として、完璧だと思った。
この漫画の軸である浅草氏の欲望が、これでもか!とばかりにエンジン全開でフル稼働し、漫画としての表現力の高さと相まって、むちゃくちゃテンション上がる迫力のあるシーンに仕上がっている。
また、彼女たちが作ったアニメーションの世界と現実世界が、ツッコミなし・魔法なしで、リンクし連動しフィードバックされてごっちゃになるという奇妙で素晴らしい漫画表現によって、彼女たちの情熱あるいは無邪気さは、手に汗握るひとつの冒険物語として伝わってくる。いい漫画だよ、ほんとに。
キャラのディテールが濃すぎて病みつきになった
で、まだある。この漫画の素晴らしいところはまだある。だから、やばいんだよ。
とりあえず1巻は、3人の才能の片鱗が大暴れする回なわけだけど(片鱗なのに大暴れするというむちゃくちゃ最高な展開ですよ、完璧に合わさったら...と思うとワクワクしかない)、
「我々にはジブリやディズニーのようなブランドもないので、ジャンルで宣伝しないと金になりませんよ」とか「アニメーションは動いてナンボなんだあああ!」とか「『未来少年コナン』これでいいかな」とか、
キャラクターひとりひとりがいい味出しすぎてて、なんというか、何度でも読み返したくなるような中毒性がある。細かいんだよ、キャラクターの描写が。そのディテールの積み重ねが、そのキャラクターあるいは空気感を作るわけだけど、その3人の掛け合いがしかも笑えるというのはもうなによりも作家のセンスで「こいつらの会話をもっと聴いていたいなー」と思えることがまずスゴくて、そして、その3人の個性がちゃんとぶつかり合いながら物語として進んでいる感じがすごくいい。個々が勝手に動いているのになんやかんやで話が進むちょっとした群像劇みたい。
また、試し読みで期待していなかった嬉しい誤算としては、困難を乗り越える解決策がアニメ制作上かなり現実的だということ(...たぶん)。高校生によるアニメ制作漫画だと思ってなめてかかるといい意味で痛い目を見ます。納期と予算があって、それをシビアに管理する金森氏の存在がかなりいい誤算だった。
「その中でどうやって闘うか?」とか「アニメとしてどうやって良いモノを作るか?」とか、そういうことに対してのアイデアが痛快でまた素晴らしい。アニメ製作者からしてみれば常識かもしれないけど、僕は「うおおおオーーーーー!!!浅草おまえって奴はああああああーーーーー!!!!」と漫画を握りしめて歓喜するなどしました。
彼女たちのクラウドファンディングがあったら秒で応援する
いやほんとに。
フィクションのキャラクターだけど、全力で応援したくなった。
試行錯誤でああだこうだと手探りで、だけど3人とも「こうしたい、ああしたい」という欲望は強く持っていて、その純粋な欲望にグイグイと引っ張られて物語が進んでいく。3人の欲望はそれぞれで違うからその道筋はジグザグなんだけど、上手くバランスを取って少しずつ課題を乗り越えていくことで、その欲望たちがたったひとつの“ナニカ”として結集し、本人たちも想像していないような“ドコカ”に辿り着こうとしている感じがすごくカッコいい。
でも、だけど、何度もしつこく言うようだけど、それはホントに片鱗でしかない。全然まだまだ。「おもしろそうな漫画だなー」と期待して読み始めると、読み終わる頃には「こいつらすげーオモシロイやつらだなー」と、浅草・金森・水崎の3人に対して期待感が高まり、ものすごくワクワクしている自分がいた。「こいつらならすげーことをやってくれそうだぞ」と。漫画に期待して読み始めたらキャラクターに期待していた、みたいな、、、なんというか、言っていることは全く同じなんだけど、だからこそあえて何度も言うけど、おもしろそうな“漫画”だと期待して読み始めたら、いつの間にか、この3人が生み出す“世界”を、もっともっと観たい!観てみたい!と期待して、ワクワクするようになっていた。
みたいな、そういう漫画!
つまり、むちゃくちゃカッコいい漫画です。
次巻もすげー期待!(いいぞ、もっとやれ。)
とりあえず、
まだ読んでいない人は、試し読みをぜひ!↓