篠山紀信も自撮ラーも偽装キラキラ女子も「やべえ」「カッコいい」以外の感想がない。
自撮り文化界隈がおもしろい。
いい文化だね。楽しそう。インターネットって、いまさらだけどおもしろい空間ですね。
娯楽の多くは「自分からの脱出」だと思っていて、キラキラアカウントも自撮りもきっとその中のひとつ。みんな誰かになりたいし、みんな誰かで愛されたい
— りょかち☆あと5kgやせる (@ryokachii) July 13, 2016
ちょうど今、横浜美術館で篠山紀信展が開催されているけど、コレがすごくよかった。特に、「山口百恵、吉永小百合、AKB48、松田聖子、長嶋茂雄、北野武… 時代を彩ってきたスターたちを、篠山が独自の視点で切り取」った『STAR すべての人々に知られる有名人』というテーマの展示空間があって、この空間がよかった。
誰だって人間だもの、ヒトとして汚い部分や醜い部分があるわけで、例えばスポーツ選手が競技しているときの必死な表情は、申し訳ないけど、ちょっと、その、正直、笑えちゃったりするわけで。
でも、篠山紀信さんの『STAR』というシリーズはそうじゃない。徹頭徹尾、そうじゃない。絶妙なバランス感覚でもって、それぞれの被写体が持っている「カッコいい要素」あるいは「スター性」のみを抽出し、それらが過不足なく結集するそのほんの一瞬を、シャッター音と共にひとつの写真作品として切り取っている。
ある意味でそれは嘘なんだけど、フィクションなんだけど、でも、そうやって撮るとやっぱり彼ら彼女たちは「カッコいい」し、プラスのエネルギーしかないから観ていてすごく心地良い。「ああ、カッコいいモノは“カッコいい”んだなー」と至極当たり前のことをしみじみと実感する。「元気がもらえる」とかって言うと神秘主義すぎるからアレだけど、“スターというフィクション”を再現するという意味において、篠山紀信さんのその感覚の鋭さにただただ圧倒される。壁一面に並んでいる巨大な写真作品というのもまたスゴかったけど、なによりも、光の具合や被写体の表情、余白の取り方、アングル、ポージングなどなど、「どう撮ったらどういう印象になるか?」という篠山紀信さんの知識とそれを実現する技術があってこそ。
そのほか展示されているテーマとしては、『GOD 鬼籍に入られた人々』『SPECTACLE 私たちを異次元に連れ出す夢の世界』『BODY 裸の肉体―美とエロスと闘い』『ACCIDENTS 2011年3月11日 ―東日本大震災で被災された人々の肖像』があって、5つの展示空間が広がっています。ほかのもよかったよ、オススメです。
「だから、自撮り文化もすごいんだ!」と妙な論理を声高々に主張するつもりはコレっぽっちもないけど、ぜひとも大切にしてほしい純粋な初期衝動としては、自撮ラーも偽装キラキラ女子も、たぶんきっと同じようなモノなんじゃないかと思う。
カッコいいモノ
キラキラとしたモノ
「ああなりたい、こうなりたい」という憧れのモノ
それを手にいれるために実際に行動するしない云々は、僕としてはどっちでもいいというか、正確にいうと"どっちも良い"んだけど、まずなによりもそういう感情がすごく好き。そうして生まれた作品なんかはもう、アレ?え?もしかして最高じゃないですか!?(੭ु ˃̶͈̀ ω ˂̶͈́)੭ु⁾⁾ バンバン!って思うんですよ!ほんとにまじで尊い!素敵!
巷で噂の『偽装キラキラ女子』も、端的に言って、ありとあらゆる文脈を内包できる日本語の懐の深さに甘んじて「やべえ」以外の感想がないわけだけど、むちゃくちゃおもしろいと思う。最高です。
twitter.co(NHK『ねほりんぽほりん』偽装キラキラ女子回で、サンプルとして作成されたアカウント↑)
自撮ラーも、キラキラ女子アカウントも、
どうしたってその根っこにあるものはドロドロとしているんだろうけど、それをまるでゲーム感覚のように前向きで戦略的に行なっているところは妙な清々しさすら感じる。なんていうか、すごく健全だなーと。ギミックとしても素晴らしいし、いやはや人間味があっていいもんです。