アンディ・ウォーホルの回顧展:雑感

森美術館で開催中のアンディー・ウォーホル展に少し前に行ってまして、せっかくなのでその雑感を。アンディー・ウォーホルといえば、ポップ・アートの代名詞で、アメリカという大量消費社会が生み出したモンスター。核実験の放射線で誕生したゴジラみたいなもんか。ちなみに、ポップ・アートの生みの親と言われることもあるけど、実際はイギリスのリチャード・ハミルトンが最初。ポップ・アートという大ムーブメントを自国で起こさなかったイギリスは、相変わらず哀れっすなあ。さて、展示会をふらふらしてみると、いつもより(他の展示よりも)客入りはよかったように思えます。僕の気の迷いかなんなのかわかりませんけど、かわいい女の子が多かったような気がします。なんというかモデル系と言いますか、芸術系とはまた違うオーラの方々が多い印象でした。

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ウォーホルの作品の(僕にとっての)前評判は、ウォーホルはテキスト(作品の理論・作品誕生の理屈)の方が重要であり、絵画を鑑賞する・体験するということはそれほど重要ではなく、それこそ実物を見なくても書籍やインターネットで画像を見ればそれで事足りるのではないか、と思っていたわけです。例えば、ウォーホルお得意のキャンベル・スープやブリロボックスなんて生活食品・雑貨をそのままのかたちで作品にしたのであって、絵画を体験するという意味では、美術館に行くのもスーパーマーケットに行くのも大差ないようにも思えたわけです。だがしかし、ウォーホルを侮るなかれ。「やっぱりすごいわ、この人」と、ウォーホル展に行って、感じた次第でございます。


有名ドコロはけっこう揃っている印象。マリリン・モンローエルビス・プレスリー毛沢東などのシルクスクリーンはありました。あと、花とか牛とか。個人的には、牛がバッーと並んでいる壁は圧巻。かっこいいです。あと、この壁の向こう側には「銀の雲」が浮いてるんですが、これがまた、まさに“ポップ”で、にくい。こういう作品に対するワクワク感っていいよね。銀色というチョイスは、ウォーホルのトレードカラーでもあるし、どことなくケロッグコーンフレークを代表とするシリアル系の銀袋のようにも見え、それってアメリカンっぽいよなあーと思えたりして。あと、直感的に「あ、かっこいい」と思った作品は、ドルマークがウォーホルカラーとも言えるポップな色合いで並んでいる作品とか。

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特に好きだったのは、1980年代頃の作品たちで、「ダニエラ・モレッラ」「アレサ・フランクリン」「モナコ公国 カロリーヌ王女」のシルクスクリーンはかなりよい。(検索したけど出てこない…)ポップ・アート並にチープな言葉で言わせてもらえば、ウォーホルの作品はただひたすら「かっこいい」。ほんとにこの言葉に尽きる。かっこいいの。ウォーホルの作品のかっこよさは、観ていると脳汁がぶっしゃーって出てきて、脳が若返ってる感じがした。そういうかっこよさ。仕事場に置くだけで活力が沸いてくるような、少なくともフランシス・ベーコン作品ではあり得ないような、そういうエネルギーを感じる。大量生産・大量消費のアメリカを体現していると言われるけど、それは同時に世界の覇権を握った超大国・アメリカのパワーをそこに感じるようで、お金に物を言わせたギラギラとしたドハデ感の体現でもあるように思う。なんというか、“ポップ”という言葉を考えた人、あるいはその言葉をウォーホルの作品に採用した人は天才だと思う。これぞまさに“ポップ”という作品の数々だったし(言葉の響きや意味合いの話を感覚だけでしています)“ポップ”とは何か?と聞かれたら、「ウォーホル」としか答えられないような、そんな作品でもあった。


ウォーホルの作品を観ていて、「何が“かっこいい”のだろう?」と考えたのだけど、ウォーホルカラーともいえる独特な色使いは当然ながら「かっこよさ」のいち要素だとして、もっと大事なのは、彼が採用した被写体の構図なのだろう、と考える。今回の回顧展では、生前のウォーホルが触れた資料の数々が展示されている場所があって、そこに並ぶ資料の中に多くのファッション雑誌があることに気付く。それは彼がデザイナー時代に触れたモノかもしれないけど、「かっこいいポージング(=構図)」として、ファッション雑誌ほど参考になるものはないのではないか。ウォーホルのシルクスクリーンから発せられる「かっこよさ」は、そういったイメージの蓄積のようなモノ、「かっこいいとは何か?」というイメージに対するアンサーでもあるに違いない。そして、そのアンサーは彼の経験という無意識に蓄積されたモノでもあったのかもしれない。ただ単純な「かっこよさ」がウォーホルの作品には表現されており、その作品たちで文字通り彩られた森美術館という空間もまたかっこよく、そのかっこいい空気を吸うことができ、体験できたことは幸いだった。


展示会場には、ウォーホルのアトリエ「ファクトリー」を模したスペースがあるんだけど、そこに飾られたウォーホルの全身像的写真もまたものすごくかっこいい。てか、ウォーホルという人物自体かっこいい。銀髪のサラ髪を七三分け(?)のようにしているヘアースタイルは言うに及ばず、スーツあるいはシャツ姿でひょろっとした身体等々、彼が(おそらく)意図的に作り出したキャラクター像は、最高に“ポップ“なわけですよ(興奮気味)まじでかっこいい。この興奮が伝わっているかわからないけど、例えばアニメや漫画におけるキャラクター論で言うと、ひとつの作品に同じようなキャラクターを登場させることはある種ご法度で、キャラの差別化ということがなされるのが通例。美術史というひとつの作品で考えると、ウォーホルというキャラクターを戦後の消費社会アメリカにおいて登場させたストーリー・テラー(作者)は、最高のバランス感覚の持ち主というか、子ども心をわかっているというか、「そこでそいつを登場させるのか!(脳汁ぶっしゃー)」というような興奮を僕たち(主に、僕だが)にもたらしてくれた。四天王のひとりとしてウォーホルがもしも登場するとすれば、完全に彼は特異点なわけで、敵味方関係なく静かに他意もなく場を乱すバーサーカータイプなのです。そういうキャラクター造型として、ウォーホルというキャラクターはかなり魅力的。少年時代の病弱な感じから、有名になって銀髪にしてからのウォーホルというひとつの流れもいいね。ウォーホルの絵もキャラクターもまとめて好きになっちゃった、そんな回顧展でした。ホクホクですな。

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このスペースはむちゃくちゃかっこいい。

銀髪シャツに細い身体。この造型の妙ったらないよ、まじで。

疲れた顔してネクタイを緩めてほしい(なに)

少年時代。完璧や。

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