「美しさに共感する」という不思議さ

素敵な出会いがあった。
まずは、ひとつの作品と出会った。それは2枚の絵。とてもとても美しく、それは僕好みだった。白地のキャンバスに、薄くひ弱な黒い線が描かれていて、今にも消えてなくなりそうな儚さがあり、それでいて、「白」という空白を大事にすることによって描かれたモチーフが際立ち、絵の存在感がよりいっそう増している。弱さの中に感じられる強さ。僕が、常々「言葉」に変換しているその「美しさ」を、絵としてカタチにしている人がいて、僕はとても嬉しかった。弱く、儚く、それでも。それでも、どうにかして力強く生きていく。僕にとって、これほど美しいものはない。

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ちなみに、安藤圭汰さんという方。

作品 安藤圭汰

(※実際に出会えた作品は、上の2枚じゃないけども…
  実際はこっち↓)

写真.JPG を表示しています

 

調べてみると、彼のホームページには以下のような文章が載っていた。

あまりにも弱々しく今にも崩れ落ちそうな、しかし確実にそこに存在している一本の美しく儚い線。

「絵」という作品に共感することは、同時に、思想にも共感するということ。

彼が信じている「言葉」にも僕は共感するし、きっと「美しさ」に対する考え方も似ているのかな、と思うし、もっと言えば、「何を美しいと思うか?」という人生における経験の積み重ねもきっともしかしたら似ているのかもしれない。

 

作品を観たあと、偶然にも作家本人と話をする機会があったのだけど、そのときまた、人間の不思議、あるいは「美しさ」の不思議を体感するような出来事があって、もうテンション上がりまくった。というのも、彼が持っていたポートフォリオを見ていたら、そこにはアンディー・ウォーホル風に描かれたジョーカーの、1枚の絵があったんだ。僕の大好きなジョーカー様。僕が「素敵だなー」と思った作品があって、それを描いた作家さんもジョーカーが好きで。そして、弱く儚いけれど強い「何か」に美しさを感じていて。「芸術」「美術」「感動」「感性」「人生」「人間」「経験」「脳みそ」なんやらかんやら。ほんとうにこのあたり、おもしろいと思うし、人それぞれ違う人生を歩いている中で、それでも、誰かの魂の叫びたる「作品」に共感できるという奇跡を、僕はもっと大事にしたい。

最近、強く思うのは、やっぱり、自分が「こっちだ!」と思ったモノを発信できるメディアを持ちたいなーということ。自分が信じたモノを発信して、それで生きていけたらと強く思う。ゆるりゆるりと始めます。