真体と意識の関係を編集する

松岡正剛が著書「連塾ーフラジャイルな闘いー」で紹介している「真体と意識の関係を編集する」についてが、意識(心)と無意識(本能?)の答えに近いような気がしてやばい。アフォーダンスについて勉強したい。

つまり、アフォーダンスということで、アフォーダンスとは、「茶碗を取ろうとすれば、人の手は途中から茶碗にアフォードされ、この茶碗の外形のかたちになっている」こと。このことが環境と人間、物体と意識などのあいだにもおこっているということ。この「あいだ」におこっていることをどう見るかというのが編集です。

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身ぶりと言葉 (ちくま学芸文庫)

身ぶりと言葉 (ちくま学芸文庫)

心(意識)は、「心でないもの」を上手く使って心を形成している。マーヴィン・ミンスキーは、その「心でないもの」を「エージェント」と名づけた。そして、それをノームとニームにも分けた。

「心でないもの」は様々な階層にまたいでいて、そこをまたぐたびに「心」が生まれる。たとえば、レストランでメニューを見て何かを注文したときの階層、その料理が来たときの階層、それを食べたときの階層、食べ終わってお腹が膨れたときの階層などなど。これらの階層、というか「情報」は本来、バラバラに存在する。このバラバラに存在する情報をノームと言い、バラバラの情報をひとつにまとめるのが、プロノームと言う。それは我々が階段をのぼるときに手摺に導かれるようなもの。クラシックバレーのレッスンをする少女が手摺につかまって自分の姿を鏡に映して稽古するけれど、我々の意識形成もそういう”手摺”がある。

一方で、上記のようなレストラン体験は一連のものになるけれど、その途中でウェイターが運んでくる料理を見て意外に思ったり、味が予想外だったりすることもありますね。そのときにニームがそういった断片情報を処理している。「え、こんな味」と思った瞬間にバッとその情報を各所に一斉に散らすようなことをポリニームと言い、「でも、ま、いいか」と納得させるのがミクロニーム

 

我々の意識はすごぶる編集的で、環境と身体と「その場」と脳は繋がっている。

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心の社会

心の社会

 

お笑いもお互いの”共通項”を笑いに変えている。

その”共通項”を編集して雑誌にする。あるいは、カルチャーとサブカルチャーを繋げるための方法とする。