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ぐちゃぐちゃと書き殴る。

なんかこう、できるだけ汚い感じで色々と書く。PS:意識より愛をこめて

『シン・ゴジラ』は僕らのサンドバックみたいなもんでさ。

 

観ました。

www.shin-godzilla.jp

 

おもしろいっす。

シン・ゴジラ』は、2016年を生きる日本人にとってのサンドバックみたいなもんだなーと。

 

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シン・ゴジラ』が「おもしろくない」理由は、これですね。

note.mu

「映画は感情移入して楽しむモノ」というスタンスで映画鑑賞している場合です。

これはスタンスの問題なので、良し悪しじゃないんだけど、「せっかくなのでこの機会に、テクスチャーを楽しむことを意識してみてくださいよ!」とお伝えしたい。僕を映画の世界へと導いた(引きずり込んだ?)SF作家の伊藤計劃も↓以下のように申しております。

 

この映画は実に様々な驚きを、感動を与えてくれます。これほど豊かなアニメ、いや映画はそうあるものではありません。私にとってこの「人狼」は間違いなく傑作です。そこには「世界に感動する視線」が間違いなく存在しているからです。昭和30年代が、映画にとって魅力的な「異世界」であることを証明する。この映画は異様とも思えるディテールへの配慮でそれを成し遂げています。デパートの屋上の遊園地。アドバルーン。低く蜘蛛の巣のように張り巡らされた電線。様々なディテールを動員してこの映画は既に失われ、それゆえにファンタジーとなった過去の空気を観客に伝えます。

ブレードランナー」が感動的なのは、決してアンドロイドが生命の意味を伝えるとかそういったことではなく、人間の肉体がひしめくストリートの膨大なディテール、セバスチャンの部屋に並ぶガラクタ、街路から出てくるスモーク、そういった小さな「部品」が凄い密度で組み合わされたその「空気」です。「人狼」は昭和30年代の街を想像して描けるありとあらゆるディテールを描写しています。

私はそういう感動の種類を「テクスチャーを楽しむ」と呼んでいます。何かの対象の「肌触り」を慈しむ感情。その微妙さ、きめ細かさ、それのもたらす「驚き」。このことは今までの「ランニングピクチャー」でも何度か言ってきたことですが、「肌触り」に感動し、涙を流してくれる人がもっと増えることを切に願い、またそれを伝えるに「人狼」が(近年まれに見る)相応しい映画であったということで、改めてお伝えしたいのです。by伊藤計劃

 

例えば、映画『スカイ・クロラ』が「退屈だった」という評価を多く受ける理由は、永遠の命を持ってしまったキルドレ(子ども)たちが感じている、ルーティーンを繰り返すだけの「退屈な日々そのもの」を映画の“演出”として組み込んでいるからなんですよ。スクリーンを前にして「退屈だ」と漏らすあなたの「退屈さ」は、空で撃墜されることでしか死ぬことを許されないキルドレたちの変わらぬ日常に対する「退屈さ」かもしれないわけで。

 

「退屈な映画」という感想は、どうしてもマイナス評価なイメージがあるけど、「退屈さも楽しむ」というか、「退屈でいい映画だった」という感想もありえるわけで、映画がもっている懐の深さみたいなモノを楽しんでみるのもアリだと思う(とSF作家の伊藤計劃から学びました!)。もちろん、手に汗握るべきアクション映画で「退屈だった」と思ったら、「金返せ!」と叫んでもいいですけど。ただ、ある映画がどういう演出をしているのか?ということを見誤って批判すると、ちょっと痛い人になります。

 

azanaerunawano5to4.hatenablog.com

話がそれましたけど、つまり『シン・ゴジラ』は、人間の葛藤とか成長とかを楽しむんじゃなくて、日本(政府)vs 怪獣という図式から生まれる一連の戦略だなんだっていうあれやこれやを楽しむための映画であって、(伊藤計劃流でいえば)そのディテール、テクスチャーを楽しめ!ということなんです。

 

っていうのが、まぁ、大方の見立て。

なんだけど、ちょっとそれだと説明不足な気がしておりまして。

怪獣とドンパチやる映画って完全に俺得映画であって、一般受けしないはずなんですよ(なぜか断定)。でも、意外とライトな層にも受けてる印象が強いし、「もう3回観た」みたいなむちゃくちゃハマってる人もいる。

 

正直、「え、なんで?」と不思議なんですよ…。

「『シン・ゴジラ』は、日本vsゴジラの完全シュミレーション映画だ!リアルだ!日本政府とゴジラが戦うときの、そのディテールが最高なんだ!!」っていう上記の大前提だけじゃ、『シン・ゴジラ』がおもしろい理由としては弱い。

 

だから、『シン・ゴジラ』の魅力はそこのディテール(だけ)じゃない。

“特撮映画としてのディテール”を追求したことが『シン・ゴジラ』の魅力なんだと思います。

 

つまり、『シン・ゴジラ』は、

日本政府が巨大不明生物と戦うときのリアルなシュミレーションを展開しつつも、ゴジラという日本人なら誰でも知っているフィクション(大嘘)を大前提として、記号的なキャラクター(小嘘)や嘘くさい演出(小嘘)を散りばめることで、虚実をごちゃ混ぜにした特撮映画という最高のエンターテイメントを今再び取り戻したのではないか。

 

なぜ、嘘を“演出”として組み込む必要があったのか?

たぶん、きっと、3.11という未曽有の大震災を経験した私たち日本人は、この現実世界の残酷さをあまりにも直視しすぎた。

 

だからこそ、「いや、これは嘘だから」というクレジット(ゴジラ)が必要だった。

 

www.youtube.com

(この動画で二人が語っていることはまさにこれ。)

 

アニメは、前提として、嘘だとみんなわかっている。だから、安心感がある。

実写で災害のオマージュである怪獣モノ(完成度の高いCG)をやると、僕らは心のどこかで3.11を思い出し、純粋にワクワクできない。僕らは怪獣に対する対策や戦略などのあれやこれやを現実的な切実感を伴って観賞することになる。

 

基本的には現実に忠実なのだろうけど、あまりにも危機感のない総理大臣や石原さとみのキャラクター、記号的すぎて素敵な対策室のメンバーたち、二回目の上陸の際に陸からその姿が確認できるほど接近されてからゴジラに気付いたところ、とかとか、『シン・ゴジラ』はわざとリアリティのない演出をしているんじゃないかと。

 

例えば、人工知能が暴走して日本人を虐殺し始めるみたいなストーリーは、あり得る未来だから現実と地続き過ぎて危機感が芽生えるし、巨大不明生物と戦うというストーリーも、現実問題としてありえないわけじゃないから、たぶんあかんのだと思います。

 

ゴジラ”じゃないとダメなんですよ、きっと。

つまり、劇中、巨大不明生物をゴジラと名付けるシーン。

あのシーンが、『シン・ゴジラ』の中でも、特に重要なシーンのひとつなんだと思う。

 

ゴジラ”という日本人なら誰でも知っているフィクションのキャラクターを登場させることで、「いや、これは嘘だから」という大前提が生まれ、その大前提のもとで、安心して、最高のエンターテイメントとして、僕らは『シン・ゴジラ』を楽しむことができているのではないか。

 

シン・ゴジラ』は、僕らのサンドバックなんだよ。

プロレスを観に行く感覚に近いのかもしれない(行ったことないけど)。

「うおー!やっちまえー!」と高揚した表情でリングに向かって叫ぶイメージ。

そこで繰り広げられる熱いバトルには、血みどろの生々しさがない。

 

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www.moae.jp

こういうことってホントにあるんだろうなーって思う。

何かをきっかけに、人々が心地良いと感じる作品が変わる。

3.11の前と後で、芸術作品に対する僕たち私たちの態度はきっと変わってる。

 

 

だから、「現実(ニッポン) vs 虚構(ゴジラ)」というキャッチフレーズがあるけど、正確には「虚構(ゴジラ) vs 現実(ニッポン)」という虚構→日本の構図が正しくて、残酷な現実を見過ぎたニッポンに対して、虚構がどこまで機能するか?という試みでもあるように思う。

 

嘘みたいなホントの話があちらこちらで発生している現代において、

「現実は小説より奇なりってほんとにそれな!」とか言われちゃう現代において、

なんだかフィクションの肩身が狭い現代において、

 

「おいおい、虚構(フィクション)をなめんなよ」と。

 

 

 

「虚構(ゴジラ) vs 現実(ニッポン)」という『シン・ゴジラ』。

 

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www.oricon.co.jp

大ヒット。

これはもう虚構の大勝利じゃろ。

 

 

「生きたいんだよ」と叫ぶアイドルがかわいい。

 

  

 

「生きたいんだよ」って言葉、めちゃくちゃ素敵。

 

ずっと死にたくて17才から9年間引きこもっていました。でもやっと最近、やっと「生きたい」と思えるようになってきました。人間がこわくて外の世界がこわくてずっと家の中で暮らしてきました。月に1回、母に車に乗せてもらって、メンタルクリニック精神安定剤をもらいに行っています。でもやっと最近、うつ病がだいぶましになってきて、少しずつ外に出られるようになってきました。ずっと引きこもって死ぬことだけを考えてきた青春でした。やっと生きたくなってきたと思ったら26才で、たのしい10代や20代前半なんてまったくなくて地獄だった。死ぬ、死ぬと思っていたのに、こんな年になってやっと生きたくなってしまった。でも、9年間引きこもってたわたしが自殺を何度も失敗しながら、母と2人でうつの自分から殺されないように自分で守ってきたこの命、絶対にむだじゃないです。こんな低スペックで挙動が気持ち悪くてどこに行ってもいじめられキモがられなじめないこんな死にたいわたしでも生きてて9年目でやっと死にたみから解放されるというこの事実が世に出ること、絶対に無駄じゃないです。さいきん1ヶ月のうち3日くらいは外に出られるようになったので、久しぶりに美容院に行って、初めて髪をピンク色に染めてもらいました。そしたら、すごく生きるのが楽になりました。引きこもってインターネットしていた期間がだてじゃないから、可愛いものを見つける才能が抜群に天才的に良いです。イソベマスヲさんというイラストレーターの作ったゆめかわなキャラクターやゆめかわなTシャツたちがだいすきで、ツイッターでマスヲさんに、そのキャラクターの絵を書いて送ったりTシャツをきて自撮りをたくさん送っていたら、「前から思ってたけど専属モデルになってほしいくらい君はいつもマスヲワールド感が有る!」と言ってもらえてほんとうに嬉しかった。わたしはこれから生きていくことにしました。わたしのこの命は、めちゃくちゃに強いです。

miss-id.jp

でも、9年間引きこもってたわたしが自殺を何度も失敗しながら、母と2人でうつの自分から殺されないように自分で守ってきたこの命、絶対にむだじゃないです。

 

um.

I THINK SO-

 

人間てほんとに不思議だ。

芸術とか文化とかって結局、「死にたくない」っていう気持ちから生まれたモノなんだと思う。

感動とは、脳が「死にたくない!生きたいんだ!!」と叫んだときに生まれるモノなんだ!なんて言ったら詩的すぎるだろうか。

 

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(最近、頻繁に引用してる漫画『プラネテス』のワンシーン)

クソッタレな今日を生きていけるのは!
明日に期待するからだろ!?by漫画『プラネテス

 

感動と感性は、近いモノがあると思うんだけど、

感動は必殺技で、感性は防御技っていうイメージ。

漫画『NARUTO』に登場する我愛羅の「砂瀑送葬」と

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「砂の盾」

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の違いって言ったら伝わるかな。

 

感性って無意識な好き嫌いというか、自分にとって心地良いモノを見つけ出す能力だと思うんですよ。でもって、人は「これ好き!」という感情を生み出してくれるモノに惹かれるし、それ欲しい!と思うものなんじゃないかと。防御のためにね。

 

 

で、黒沢さんの感性ってなんだかいいなーと。

 

可愛さの中にもちらりと見えるダークな感覚?がよいです。最高です。過剰なほどかわいいに溢れたピンクな世界。デコラティブ。でもって、なんだかフワフワとしてる感じ。共感して嬉しくなって近づいてったらすごく遠くにいるんだってことに気付くんだろうなーっていうフワフワ感。

 

現実が辛くて「死にたい」と感じれば感じるほど、

反動として、「生きたい」という感性が強くなる。

jian92fs.hatenablog.com

 

東田直樹のような、自分にとっての感動の輪郭をより丁寧に探し求める芸術家は、きっと冒険家みたいなもんで(そして、本来なら、人間ならばきっと誰だって)、過酷な旅をひとりで歩んで、ボロボロになりながらも誰も到達していない“どこか”に辿り着いて、そこにあった“何か”を引っ掴んで、帰郷して、「こんなんありましたよ」って、この世界の清濁を飲み込んで、彼らが信じるに値する言葉や物語や作品を生み出しているのだと思う。自分自身のために。

sphinxis.com

「じゃあいい宇宙船員(ふなのり)の条件ってなんなんスか?」
「必ず 生きて帰ってくることよ」by漫画『プラネテス

 

 

 

生きて、生き残って、地獄を見せてほしい。

ミスiDで、激推し中な子。

 

 

僕らは、生きるためなら悪魔にだってすがりつく。

 

 

義足ってかっこいいと思うんですよ。

Designing Body 美しい義足をつくる

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近年、義足というジャンルにデザインが導入され始めているという外見的な理由もさることながら、「“誰か”にとっての希望となり、しかも、実際的に、物理的に、“誰か”の人生を支えることができるところ」がめちゃくちゃかっこいいことに気が付いた。

 

「人間は“すがりつきたい何か”に出会ったときに、感動する」という僕の仮説が(またしても)土台にあるわけですが。

 

考えてもみろ。あのレオナルド(ダ・ヴィンチ)がどんなに素晴らしい絵を描いたって、指一本入れられないだろ。だからフィクションだな。そうすると信じるか信じないかという信仰の問題になる。by荒川修作

jian92fs.hatenablog.com

 

荒川修作の言葉で「ああ、そうか。たしかに、そうだな」って思って、ずっとその言葉を引きずってる。つまり、小説や漫画、アニメなどのフィクションは、ダ・ヴィンチの絵だ。フィクションで感動して、「よっしゃー、頑張るぞー、生きるぞー」って思っても、残酷な現実(=ノンフィクション)がなくなるわけじゃないし、どうしたって生身の身体で乗り越えていくしかない。これはすごく当たり前のことだし、フィクションはもちろん大好きだし、全力肯定するんだけど。

youtu.be(昨期、鬼リピしまくったPV。フィクション最高!)

 

 

ところが、義足は、

「自由に歩けるようになりたい」という希望を、物理的に叶えちゃうすげーアイテムなわけです。ノンフィクションなんですよ。

 

足を失って「もう二度と歩けないんだ、普通の生活に戻れないんだ…」って絶望の淵にいる“誰か”に対して、「いつかきっと歩けるようになるよ」ってすがりつけるような希望を与えて、かつ、「はい、これ」って(まるでドラえもんみたいに)ほんとうに歩けるようにしちゃうむちゃくちゃすごくてカッコいいアイテム、それが義足です。

 

wired.jp

epokal.com

なので、

「カッコいい義足ないかな~♪」ってノリノリでネットサーフィンしてたら、

 


 

youtu.be

↑このPVと出会いました。

 

義足のポップスター・VIKTORIA MODESTAの『Prototype』というPV。

 

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『Prototype』、最高です。

完璧って言ってもいいです。

 

何が完璧かっていうと、

結局、「何かに感動する瞬間」ってまさにコレなんです。

 

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この女の子も、

 

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このオッサン(?)も、

 

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この少年も、

 

VIKTORIA MODESTAというヒーローに憧れている(すがりついている)わけです。

 

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たぶん、きっと、彼ら・彼女らは、耐えがたいほどに辛い現実に直面していて、だからこそ、VIKTORIA MODESTAにすがりついた。VIKTORIA MODESTAを信じた。

 

僕が“感動”と呼んでいる心の動きは、まさにコレ。この感覚。

“感動”の度合いは、もちろん大小あるけれど、根っこの部分はコレだと思ってる。

僕だけじゃなくて、人類すべてにとって(という仮説だけど)

 

何かに感動するということ。

何かに憧れるということ。

何かを信じるということ。

これって、むちゃくちゃすごい力なんだよ。

 

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(漫画『プラネテス』のワンシーン)

クソッタレな今日を生きていけるのは!
明日に期待するからだろ!?by漫画『プラネテス

 

僕たちがクソッタレな毎日を生きていけるのは、心のどこかで明日に期待しているからなのではないか。人それぞれ生き続ける根拠が何かしらあるのではないか。昔は、その大役を宗教が担っていたけど、現代はきっと多様化しているのではないか。

そんな仮説を日々ああでもないこうでもないと考えています。

 

人それぞれ心の中にヒーローがいて、だからこそ、毎日を前向きに生きていけるんじゃないかって、そうだといいなって、妄想したりもします。

 

この『prototype』が秀逸なのは、

その「ヒーロー=すがりつきたいモノ=芸術家」という図式をこれまたわかりやすく(僕が勝手に解釈しやすく)物語にしているということ。

そして、何かにすがりつくということの怖さも、同時に、伝えている。

 

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足を自ら切断することで、義足のヒーロー・VIKTORIA MODESTAのように強くなれるかもしれない!と信じて、実行した男のピースサイン。悲劇だけど、悲劇じゃない。いや悲劇だ。だけど、ああなりたいこうなりたい、ああかっこいいなー素敵だなーという憧れの感情を僕は知っているからこそ、ぐちゃぐちゃとした感情が生まれる。なんなんだ…ちくしょー…という感情…

 

 

youtu.be(いやー、何度観ても最高ですね。スパイダーマンに憧れて、結局、ヴィランとなった…えーと…名前何だったかな)

 

「僕らは、生きるためなら悪魔にだってすがりつく」

という挑発的なタイトルの記事ですが、

もちろん、VIKTORIA MODESTAが悪魔だって言ってるわけじゃないです。

あなたにとって“悪魔”みたいなモノでも、誰かにとっては“正義のヒーロー”であることは、当然あり得るわけです。(善悪やキリストとイスラムの問題と同じことで、解釈次第、立場次第です)

 

生きるために信じるしかなかったモノが、結局、社会にとって“悪”だったときの切なさ。

何かを信じて、感動しているときの“あの純粋な感覚”を知っているからこそ、「ああ、もう、なんでなんだよ…ちくしょー…」って、胸が苦しくなる。けど、だけど、僕はその切なさがたまらなく好きだったりもします。

 

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 (なんとなーく、子どもの頃に大好きだった『封神演義』の聞仲のせいかなーとか思いつつ。時代は周に変わり始めているのに、最後まで殷にこだわり続けた聞仲様…)

 

つい先日、『吉増剛造展』に行ってきまして、

www.momat.go.jp

 

で、まぁ、だいたいこんな感じなんだけど、

www.youtube.com

 詩というか、文字や言葉に対して、ある程度の美しさを感じてはいるけれど、

声というか、音というか、吉増剛造さんの作品に対して、僕は深い部分で感動しなかったし、よくわからないという本音が漏れるのだけど、

吉増剛造さんは吉増剛造さんにとっての“感動”があるわけで、それはきっと根本的に、何かにすがりつく感覚と同じなのかもしれないと思うと、「ああ…、きっと僕が『僕のヒーローアカデミア』で感動している感覚と同じかもしれない」って思えて、なんというか、共感できるんですよ。これは僕が勝手に作った物語だから、「いや、同じじゃないだろ」って言われるかもしれないけど、少なくとも勝手に共感して興味を持つことができているので、これは僕の強いところだと思ってる。

 

義足も

僕のヒーローアカデミア』も

VIKTORIA MODESTAも

スパイダーマン

聞仲も

吉増剛造も、

すべて同じ次元で語ることができる。

 

と、思うんだけど、

この理論って飛躍しすぎた電波な理論になってたりするのかな…

って、とある事件をきっかけに不安になったりもするのでした…

 

クレヨンしんちゃん好きの風俗嬢と出会った話

 

「感動とは何か?」と考えると、

「(現実はこうだけど)ああだったらいいのにな、こうだったらいいのにな」というような”すがりつきたいモノ”(希望や憧れ)と出会った瞬間である、という結論に至った。

今のところ。

 

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この間、新宿の小さなbarで、風俗嬢と出会った。

20代後半(と思われる)その女性は、the夜の女っぽい雰囲気の気の強そうな美人で、だけど、話してみると、笑顔が無邪気で可愛らしい方だった。大阪でずっと同じような仕事をしていたと語るその言葉には時々関西弁がまじる。東京に来て、1年経つという。

 

そして、クレヨンしんちゃんが好きなんだ、と言っていた。

 

休みの日はほとんど外出することもなく、家で映画やドラマを観ていて、クレヨンしんちゃんのアニメが好きで、暇だからすべて観終わっちゃった、と話す。

 

そして、映画のクレヨンしんちゃんは好きじゃない、と言っていた。

 

アニメのクレヨンしんちゃんで好きなストーリーはありますか?と聞くと、どれもこれも日常的なふつうのなんてことない野原家のストーリーだった。
一方、映画のクレヨンしんちゃんは観れば涙腺崩壊の感動超大作ばかりだ。それは、時には、地球の平和すらも背負って奮闘するしんちゃんの家族愛の物語。

 

なんというか、
ここで偏見まみれの妄想をすると、
彼女にとってのすがりつきたいモノっていうのは、なんてことない家族の日常なのかもしれないなあって。

 

もしかしたら家庭環境に何かしらの問題があって(イメージだけど風俗の人ってそういう人多そう)、それでずっとここまで生きてきて、家族が育むふつうの関係性が彼女にとっては希望や憧れなのかもしれないなーって思った。

 

部屋でひとりでクレヨンしんちゃんを観ながらあの"感動"に浸っている彼女を想像すると、どうしようもなくキュンキュンとしちゃいます。それってすげー切なくて愛おしくて人間として当たり前で健気で素敵だなって思うんですよね。

 

だから、私は"感動"が好きなのだし、感動を軸にして生まれる"芸術"が好きなのです。

 

クレヨンしんちゃんという物語に対する希望や憧れは、たいてい無意識だとしても、彼女にとって生きる理由になっているのかもしれない。

希望がなくなったとき、人は絶望し、死に至る。

 

感動とは、生きる希望を感じることなのかもしれない。

 

あなたにもそんな"感動"がありますか?

血へど吐くまで走り込め。血便出るまで素振りしろ。

 

頑張れ、おれ。

 

 

 

 

 

www.youtube.com

www.youtube.com

 

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血へど吐くまで走り込め。血便出るまで素振りしろ。ちったあ今よか楽になれんぜ。ヒーローさんよ」

 

 

 

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youtu.be

どんな仕事をしても、どんな趣味持っても、どんな希望を持っててどんな夢があっても、それを誰かが必要としていなかったら僕は、価値がないと思います。それは30歳ぐらいのときまでに、日本一のクオリティを保っているのにも関わらず、一円も稼げなかった僕が一番感じたことであり(後略)。

虐殺の王が身に纏ったオード・トワレ『PENHALIGON'S』

 

「家の中に、ジョン・ポールを匂わせるようなものはあったか」
ぼくはそのことについて思い返す。ルツィアの部屋にいるあいだ、指輪、写真立て、雑誌、散らかり具合、掃除の程度、男の臭いを探ったものの、ついにそれを見つけられなかった。
しかし、ヒトという種の鈍磨した器官しか持たないぼくとは違って、センサのほうは男性の痕跡を発見していた。(中略)
ベンハリガンのオード・トワレ。男性向けの香水だ。
「彼女の前じゃ、ジョン・ポールもかっこつけようと思うのかね」
ウィリアムズが皮肉る。(伊藤計劃虐殺器官』より)

 

 

っていうことで、

買っちゃいました。

 

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www.penhaligons.jp

 

とりあえず、店員さんが定番と言ってたペンハリガンの『BLENHEIM BOUQUET』。

そもそも、ペンハリガンは英国王室御用達の香水メーカーらしくて(←素敵!)、この『BLENHEIM BOUQUET』はあのウィストン・チャーチルも愛用していたのだとか(←素敵!)。

…とはいえ、いつもの香水予算の5倍の値段っていうね…ああ…

 

 

でも、もうずっと、ずっとずっと欲しいなあーって思ってて、このたびとある勢いで買っちゃいました。

 

ジョン・ポール

虐殺の王(ロード・オブ・ジェノサイド)

 

もちろん、虐殺はフィクションであるべきで、現実で起こってはならない悲劇だ。

 

しかし、それでも、ジョン・ポールの正義を、覚悟を、美学を、僕は美しいと感じている。それはもうどうしようもなく。ジョン・ポールの選択は、どこまでも人間臭くて、だからこそ、残酷で切ない。

「どうしてこうなっちまうんだ」というやるせなさと、「ああ、そうだよな」という納得感。そうした矛盾を抱えて、ジョン・ポールは『虐殺の文法』を語り、世界を虐殺の大渦へと引きずり込んでいく。僕らのデリバリー・ピザと引き換えに。

 

時代と己の正義が違えたとき、ヒーローはヴィランへと転落する。

その切なさ。儚さ。悔しさ。それらは、どうしようもないほどに込み上げる。「ああ…、もう!なんでなんだよ、ちくしょう…!」と声に出したって構わない。

誰かが自分にとって大切な何かを守ろうと必死になっているというのに、その一方で、自分が何を守りたいのかもわからない“誰か”の集合体が正義で常識で大勢で、ちっぽけな個人はその大波に飲み込まれてしまう。

 

だからこそ、僕にとって、ジョン・ポールはヒーローなんだ。

それは、悲劇的で、許しがたい物語のヒーローだけど。

それでも、その根底に流れるヒーローの物語を僕は愛する。

 

僕にとってのヒーローの、そんなヒーローの香りを纏えたら、という願望。

心が折れそうなとき、自信がどっかに吹っ飛んじゃったとき、その香りを嗅ぐことで強くなれるんじゃないかという僕なりの遊び心。その体現。「心地いいモノ」に囲まれて生きていきたいという理想のための一手。

 

きっと、ペンハリガンの香水をつけるたび、なんだかニヤニヤしちゃうんだろうな。

 

初めまして、人体さん。

 

 

人体・肉体には、こんな表情を見せる余地があるのかと驚く。

動きとか姿勢とか筋肉と人骨が連動して変化する皮膚とか、音楽もすごくマッチしてるし、これはかっこいいぞ。すごいぞ。

 

BEYOND THE BORDER PROJECT is Dontion Music Program.

When you purchased "Medecins Sans Frontieres" support campaign commercial theme song "BEYOND THE BORDER" by downloading it, all of the profit is contributed to "Medecins Sans Frontieres".

This project continues to for delivery in the end of June, 2010 from September 30, 2009.

A download, the details are
http://beyondtheborder.info


Music : RYOSUKE IMAI for TinyVoice,Production
Director : JUNICHI TAKAHASHI
Dancer : NORIKO SEKI

Creative Director : TATSUYA HAMAJIMA
Co-Creative Director : YOH AKAGI
CG : ISAKU OGURA
EDIT : DAISUKE HONDA

Hair & Make Up : TOMOKO OKADA

Creative Producer : KAZUMASA KOBAYASHI
Assistant Creative Producer : KAZUMASA KOBAYASHI

Creative Support : AOI PROMOTION INC. DIGITAL HOLLYWOOD CO.,LTD.
Camera Support : CANON MARKETING JAPAN INC.


Producer : EISUKE MOCHIZUKI

Executive Producer : RYO HONDA     JUNICHI MURATA