ありがとうございました。

 

きみは弾丸を四発持っているbyフランク・ダラボン - 伊藤計劃:第弐位相

メタルギア」のノベライズで書いたのは、そういうことだ。人が死んだとき、それを悼みとともに思い返すとき、ぼくらはどんな言葉を口にすればいいんだろう。ぼくはいままで、ずっとこの言葉を使ってきた。

ありがとうございました。

あなたの物語は、今の私の一部を確実に成しています、と。

あなたの言葉は、今の私の一部を確実に縁取っています、と。

かつてあなたの言葉が真実だと思った時期もあり、いまはその頃と考え方も変わってしまったけれど、しかしあなたの用意した道を迂回してここにたどり着けたことはやたり、幸福だったんです、と。(中略)だから、ありがとう、という。

あなたの物語を、ありがとう。

あなたの批評を、あなたの漫画を、

あなたの絵を、あなたのblogを。

ぼくは、ご冥福を、というよりは、「ありがとうございました」と送り出すのが、自分にはしっくりくるのだ。どんな死者でも。自分に「物語」を授けてくれた人に対して。

というわけで、野田様、どうもありがとうございました。

一人の人間が、初めて誰かに物語を、フィクションを語ろうとするその場所に、あなたの本はありました。

 

伊藤計劃の亡くなった方への態度の話なのだけど、「ご冥福」という言葉に対して「冥土なんてないと思っている」から、形だけの「ご冥福をお祈りします」を使わずに、自分なりに「ありがとうございました」という言葉を使っている。「細かい」といえば細かいし、「屁理屈」といえば屁理屈なんだけど、自分が口にする言葉にしっかりと自分なりの価値観を持っているのは、けっこう大変なことだし、そこを面倒臭がらずに物事を考えているのは、やっぱり素敵だなあ、と思うわけで。

そして、なによりも。この野田昌宏に対するエントリー、そして野田昌宏に対する感謝の気持ちは、僕が伊藤計劃に対して抱く感謝と似ているような気がする、というか、字面の意味においては一緒かな。伊藤計劃の物語は、今の僕の一部を確実に成しているし、伊藤計劃の言葉は、今の僕の一部を確実に縁取っているわけだし。まだ誰かに物語を語ろうとはしていないけど、きっといつかそうなると思うし、そのときに思うのは「フィクションを語ろうとするその場所に、あなたの本はありました」ということだと薄々と感じています。

 

ダークナイトの奇跡 - 伊藤計劃:第弐位相

余談だけど、伊藤計劃が「「パトレイバー2」以来だろうか。  これほど自分の魂にぴったりくる映画は。」とも言わしめた「ダークナイト」を、自分もめちゃくちゃ好きなので嬉しい。今年のハロウィンで、ジョーカーのコスプレをしちゃうくらい「ダークナイト」は好きです。ジョーカーまじでかっこいいよー。