暇と退屈のココ・シャネル

ジュリアン [DVD]

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 予想通りでした。予想通りに理解できず、途中で飽きるという残念な結果に。「トレイン・スポッティング」や「スナッチ」で、頼りないダメ男をいい感じに演じていたユエン・ブレンナー演じる・ジュリアン。そして、ジュリアンの家族との交流の話をセピア調というんでしょうか、少し粗い映像美によって撮影している。ジュリアンの家族はどこか変なところがあり(ジュリアンも変だけど)、だからこそ彼らに感情移入できず理解もできず…っていうことなのかな。この記事を書いていて「自分はそもそも理解しようとしたのかな?」という疑問が生まれてきて、そのあたりは反省しないとだめだなあ。とりあえず、ジュリアンが物語の中で徐々に精神分裂症を患っていくんだけど、ユエン・ブレンナーの演技力たるや、ほんとうに精神分裂症のように見えるのですごい。

 

ココ・アヴァン・シャネル 特別版 [DVD]

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 ココ・シャネルの伝記映画。おもしろかった。ナイトクラブでの歌が軽快で心地よく、いい音楽がある映画は良作が多い。ファッション業界を変えた美しく強い女性「ココ・シャネル」を映画にした作品なので、その映画にも美しいモノが多くあったように感じて、それがすごく好きだった。映画の序盤で感じたのは、構図の美しさ。映画ではあるけれど、1枚絵でも美しいだろうな、と思わせてくれるような映像美があって、ココ・シャネルの伝記映画としてふさわしいこだわり。そして、(ココ・シャネル曰く)美しくない豪華絢爛なドレスや帽子をなんども印象に残るように映像として映して、その対比としての質素でエレガントなココの服があり、その静かな美しさはココ・シャネルの偉業を感じさせる。襟元が大きくあいた黒いジャケットで、煙草加えながら仕事をしている姿は、ほんとにかっこよくてこのココ・シャネルと、ココ・シャネルがつくったダークでエレガントなスタイルを観るためだけにまた観たいと思える映画。ド派手こそファッションで、美しさの象徴でもあった時代において、それを美しくないと感じて自分の価値観を世界に認めさせたココ・シャネルは、その折れない信念というか、やはりすごい人なのだ。当時、お腹まわりをきつく締めるコルセットがあたりまえだったけど、もっとゆったりとした服でもいいじゃん!と、現代的なゆるゆるな服を提案したのも彼女。

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↑(装飾過多がいかに醜いかよくわかるシーン)

 

あと、この映画で個人的に気になったテーマは、「退屈」という言葉。

國分 功一郎さんの「暇と退屈の倫理学」をちょうど読んでいて、人々は退屈だと感じることを恐れるから、気晴らしとしてパーティなどのイベントを定期的に開くのだ、と。でも、人々はそれでもどこかで退屈を感じている(たとえ、パーティの最中だとしても!)。お金持ちとそれに群がる女性たち。バカみたいにキャーキャー騒いでるんだけど、主賓の富豪・バルザンも自ら「退屈だ」と認めている。そして、ココは言う、「退屈だと老けるわよ」と。リア充になることを必死に求めるんじゃなくて、自分にとって大切なモノを理解することが人生を楽しく生きるコツなんじゃないか。大切なモノっていうのは、時間を忘れて没頭できるような何か。誰の言葉だったか忘れたけど、時間の流れは相対的なもので、時間を忘れるほどの楽しい時間が人生において長ければ長いほど、実年齢より若く見えるらしい。時間は誰にとっても同じ時間が流れていると思われがちだけど、時計の時間は同じ長さだったとしても「あっという間に過ぎる」と「時間が過ぎるのが遅い」と、別々の時間感覚を感じる人たちは確実に存在する。同じ1時間でも、楽しい!と感じた人の時間感覚は30分ほどかもしれないし、退屈!と感じた人の時間感覚は2時間かもしれない。簡単に言ってしまえば、楽しい!人の方が1時間30分も多く長く生きられる、と脳や身体が錯覚を起こすことがあるらしい。だから、ココ・シャネルは言うわけです。「退屈だと老けるわよ」って。

暇と退屈の倫理学

暇と退屈の倫理学

 

 個人的には、この「退屈」は別の哲学者が言っていた「絶対不可避の死への恐怖」だと思うけど。