キュレーターという仕事
就職活動が無事終了し、自分の進む道がある程度決まってからたくさんの本を読んだ。それは侘び寂びといった日本文化・日本の思考であったり、身体性と無意識の関係から始める脳みそについてだったりと。これは完全に趣味の域でしかなかったけど、しかし知識こそ自分の将来で絶対的な武器になると妄信して読んでいたのもまた事実。いつか役に立つ日が来ると。でも、とある新卒社員に向けて書かれた本を読んで、薄っすらと社会に出る不安を感じつつも、そもそも仕事を通して自分が何を成し遂げたいのか?をぼんやりと振り返ってみた。そしてそれは、瀬戸内海旅行のときに、ずっと考えていたことのひとつでもあったけど。正直、どうすりゃ自分の成し遂げたいことが叶うのかよくわかんないっていうのが本音。そこがしっかりしていないと社会に出ても無駄な日々を過ごしてしまうと思うし。
日本文化とかフロイトの無意識とか、自分が興味ある分野(勉強している分野)はどうしてもふわふわしているというか、「じゃあ、こういった勉強をどうやって仕事として生かすの?」という疑問がずっとつきまとってた。っていうか、この疑問こそが不安の証拠なのだけど。もうちょっと現実に即した本も読みたいなーとか、本屋にいけば出会えるかもなーとかなんとなく思って行ってみたら出会えた。
まず、「キュレーターになる!」
キュレーターになる! アートを世に出す表現者 (Next Creator Book)
- 作者: 住友文彦,保坂健二朗
- 出版社/メーカー: フィルムアート社
- 発売日: 2009/02/11
- メディア: 単行本
- 購入: 6人 クリック: 153回
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そして、「芸術の売り方」。
- 作者: ジョアンシェフバーンスタイン,山本章子
- 出版社/メーカー: 英治出版
- 発売日: 2007/09/04
- メディア: 単行本
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別にキュレーターになるつもりはないし芸術も売るつもりはないけど、それに近いことはすると思うから。自分がもしも天下無敵のスーパーマンでなんでもできるとしたら、自分の評価基準で芸術家を集めてそれを世間に発信して影響を与えたいなんて、ちょっと思ってるから。それってつまりキュレーターじゃん?と。集めてきて、それを展示にするか?メディアにするか?っていうのは方法論でしかなくて、どっちでもいいんだけど。
本来芸術ってそんなにすっきりするものでもないっていうか、残るものってすごくモヤモヤするんですよね。スッキリするものを求めると、ハリウッド映画みたいになっちゃうから。(波多野裕文 / People In The Box) http://t.co/plin5BbI4G
— CINRAの名言振り返りbot (@cinrabot) 2013, 8月 30
作品が簡単に消費されてしまわないためには、トゲがあったりしてすぐに飲み込めず、吐き出しちゃうくらい気持ちが悪いものにすべきなんです。(高橋源一郎) http://t.co/I5iZxqXlcw
— CINRAの名言振り返りbot (@cinrabot) 2013, 8月 5
アートとエンターテイメントの違いだけど、つまりこういうことだと思ってる。プロが僕らを楽しませようと人生をかけて作っているのに、それがおもしろくないはずがないんですよ。そういった作品を体験して「おもしろい!」「感動した!」と言うのは簡単で。だけど、その作品が何十年経っても「時々また見たくなるんだよね」と言えるようなものすごく深い感動体験に繋がっているかどうか。つまり、消費で終わっていないかどうか。消費の象徴でもあるエンターテイメントは、すっきりしていて後味最高なんだけど、残りにくい。すぐには消化できないような、SNSで気軽に「感動しました!」なんて言えないくらい重くて強烈な一撃を与えたい(笑)そういった軸でのキュレーションをする、という意味で、これらの本は現実的で将来的に知っておいて損はなさそうな本でした。(「芸術の売り方」は未読だけど)
じゃあ、その重くて強烈な作品ってなにー?ってところは現在考え中だったりします。「キュレーターになる!」でも書いてあったけど、いい作品をたくさん観て触れて、そういう評価軸をより強固なものにしていくのは大切だろうなあーと。
辛い仕事が多い中で、そんなことをわざわざ意識して仕事しなくても最低限飯を食っていくことはできるんだろうな、とは思ってる。最低限の仕事をして、貰った給料で美味いもん食ったり友達と遊んだり素敵な作品に触れたりして、ある程度の幸せは享受できるだろうな。