クレヨンしんちゃん好きの風俗嬢と出会った話
「感動とは何か?」と考えると、
「(現実はこうだけど)ああだったらいいのにな、こうだったらいいのにな」というような”すがりつきたいモノ”(希望や憧れ)と出会った瞬間である、という結論に至った。
今のところ。
この間、新宿の小さなbarで、風俗嬢と出会った。
20代後半(と思われる)その女性は、the夜の女っぽい雰囲気の気の強そうな美人で、だけど、話してみると、笑顔が無邪気で可愛らしい方だった。大阪でずっと同じような仕事をしていたと語るその言葉には時々関西弁がまじる。東京に来て、1年経つという。
そして、クレヨンしんちゃんが好きなんだ、と言っていた。
休みの日はほとんど外出することもなく、家で映画やドラマを観ていて、クレヨンしんちゃんのアニメが好きで、暇だからすべて観終わっちゃった、と話す。
そして、映画のクレヨンしんちゃんは好きじゃない、と言っていた。
アニメのクレヨンしんちゃんで好きなストーリーはありますか?と聞くと、どれもこれも日常的なふつうのなんてことない野原家のストーリーだった。
一方、映画のクレヨンしんちゃんは観れば涙腺崩壊の感動超大作ばかりだ。それは、時には、地球の平和すらも背負って奮闘するしんちゃんの家族愛の物語。
なんというか、
ここで偏見まみれの妄想をすると、
彼女にとってのすがりつきたいモノっていうのは、なんてことない家族の日常なのかもしれないなあって。
もしかしたら家庭環境に何かしらの問題があって(イメージだけど風俗の人ってそういう人多そう)、それでずっとここまで生きてきて、家族が育むふつうの関係性が彼女にとっては希望や憧れなのかもしれないなーって思った。
部屋でひとりでクレヨンしんちゃんを観ながらあの"感動"に浸っている彼女を想像すると、どうしようもなくキュンキュンとしちゃいます。それってすげー切なくて愛おしくて人間として当たり前で健気で素敵だなって思うんですよね。
だから、私は"感動"が好きなのだし、感動を軸にして生まれる"芸術"が好きなのです。
クレヨンしんちゃんという物語に対する希望や憧れは、たいてい無意識だとしても、彼女にとって生きる理由になっているのかもしれない。
希望がなくなったとき、人は絶望し、死に至る。
感動とは、生きる希望を感じることなのかもしれない。
あなたにもそんな"感動"がありますか?