チームラボは正義だ。

誰かの作品を観て、涙がとまらなくなるのは2回目だった。というより、その1回目も2回目も、同じ作家さんなのだけど。

 

odoru.team-lab.net

やっと行けました。

会期延長だったのでピーク時よりもたぶん空いてました。

 

泣ける=良い!素晴らしい!という単純な図式じゃないことは百も承知なのだけど、それでも、どうしても、「涙がとまらなくなる」という状況には、すごく特別なことがあるんだと僕はわりと真面目に信じている。少なくとも、そのときにこみ上げてきた嬉しさや悲しさ、悔しさなんかっていう感情が嘘っぱちだったなんて思いたくない。

 

チームラボさんの作品はどれもこれも素晴らしい。のですが、その中でも、思わず泣き出すほどテンション上がっちゃった作品が 『追われるカラス、追うカラスも追われるカラス、そして分割された視点 - Light in Dark』でした。

 

「へい!どうしてわざわざ高いお金払ってまで芸術作品を観にいくんだい?」と聞かれたら、「こういう作品に出会いたいからだよ!」と自信を持って笑顔で答えたくなるような、脳みそをスパコーーーーン!!!とぶっ飛ばしてくれるような、それはそれは迫力のある映像と音楽の作品。

 

youtubeの動画じゃそのスケール感が全然伝わらないんだけど、会場の照明が落とされた暗い場所で、自分の背丈よりも高くて両手を広げたよりも幅広い映像画面7つ(だったかな)が、Uの字に並んでいて、お客さんはその巨大な映像画面の間をふらふらと観て歩き、時には寝そべって(!)観賞する。作品の世界に入っていける!というとさすがにちょっと大げさですが、たぶん正確な単語としては「体験する」に近い。youtubeの動画は(申し訳ないけども)あくまでも「視聴」でしかないんだ!と。

 

会場の作品は、Uの字に並んだ映像画面の間を「カラスたち」が縦横無尽に愉しそうに飛び回る。そして、映像画面に手を伸ばしたらそのまま「カラスたち」の世界に手が届くんじゃないかと錯覚するぐらいに奥行きと立体感があった。例えば、映像のちょうど2分頃のところの「カラスが遠ざかってる」シーンによって、「映像の中に広がる無限の空間」みたいなのを体感できる。映像画面を入口にして、その先に別の世界が広がっているかのような奇妙な感覚。遠くの方で気持ち良さそうに羽ばたく鳥を眺めることが、これほどまでに心地よい感情を抱かせるものだとは思ってもみなかった。しかも、「カラス」の軌跡に花々がリズムよく咲き乱れるとかもうね素敵すぎるよ。

 

追われるカラス、追うカラスも追われるカラス、そして分割された視点 – Light in Dar / Crows are chased and the chasing crows are destined to be chased as well, Division in Perspective – Light in Dark チームラボ, 2014, デジタルインスタレーション, 4min 20sec, 音楽:高橋英明

http://d218lzajl72f3j.cloudfront.net/wp-content/uploads/2014/08/saga_main_R.jpg

http://www.team-lab.com/news/miraikan)↑実際の展示風景こんな感じ。

 

日常では絶対に出会えないであろう、そういう空間に出会えること。

それは、例えば、豊島美術館で出会った「こんな美しい作品を、空間を、時間を、僕と同じ人間が作ったのか…!」というこの上ない喜びと驚きと感動。あるいは、もっと単純に「なんじゃこりゃスッゲー――!!!!」というワクワク感が全身を駆け巡るような感覚。僕がせっせと美術館やギャラリーに足を運ぶのは、1/100回あるいは1/1000回だとしても、そういう瞬間に出会えることを知っちゃったからだ。それがゲイジュツってやつだ。

 

つまり、「芸術」というのは「作家が自分という存在と真摯に向き合い、とことん追求し、それを他人と共有するために作品というカタチにする行為」なんだと私は信じている。「自分」と向き合うと、だんだんと「核」のようなモノ、その個人にとってすごく大切なモノに辿り着くのかなって信じているんだけど、 チームラボ、つまり代表である猪子さんという個人の、その奥深いところにある「何か」によって、「こんなにも美しいモノが生み出されたのか…!」とふと思い至り、その瞬間、ぐわーと涙が込み上げてきた(会場が暗かったので遠慮なく)。

 

なんというか、チームラボさんの作品は、すごく素直で、とても真面目で、純粋無垢に「美しい」。それが映像美や草木、花々の美しさにも繋がってくる。誰かの奥底にある大切なモノが、どうしようもなくむちゃくちゃに美しかったら、これほど素敵なことはないですよね。

 

自分でも小説を書き始めて、作品をつくるとき、自分の中にある経験や感動、知識の範囲でしかモノは作れないんだというすごく当たり前の事実に気付いた。あるいは、ストーリーからキャラクター、文体まで、自分が「コレいい!」と感じるモノの積み重ねでしか作品は生み出せない。
 

だからこそ、チームラボさんによって生み出された作品の「美しさ」に、「すげえええ…」ってむちゃくちゃ心が震えた。それは称賛の意味もあったけど、だいたいは憧れと嫉妬と絶望がぐちゃぐちゃと複雑に混じり合った感覚。ちょうど仕事や作品が上手くいってなくて、自信喪失した時期だったのも大きい。自分自身に対する不甲斐なさ。何してんだ俺という非力感。「美しいモノ」を想像できる感性(と知識)と、それをこの世界に再現する技術をもったチームがあって、ぜんぶひっくるめて「すげえええ…(いいなあ…かっこいいなあ…)」って。

 

まあ、途中でものすごいプライベートな事情を挟みましたけども、そんなん抜きにしてもチームラボさんの個展むちゃくちゃ最高です。「チームラボの作品は美しすぎる、行儀よすぎる」という批評もあったりして(アート作品には毒気があるべき論)、実際そういう傾向あるかもとか思ってたけど、むしろ「美しいは正義」だよ、と。美しすぎて泣ける展覧会。誰かにとっての「美しさ」が、自分にとっての「美しさ」であることの奇跡。かっこいい作品はやっぱり僕にとってはヒーローであり、暗いどん底から救いの手を差し伸べてくれる。頑張ろう、頑張りたいと不思議と思えるもんです。

 

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