『フューリー』は戦争映画で「ぶっ殺すぞ、ファッキンジャーマン!」だけどオススメだよ!

映画『フューリー』の感想。

ブラッド・ピット主演。

第二次大戦の1945年。

ブラッド・ピット演じるドン・コリアーを指揮官として、「フューリー」と名付けられたシャーマンM4中戦車に5人の兵士が乗り込み、ファックなドイツ軍との壮絶な戦争を繰り広げる。2014年、期待の戦争映画『フューリー』。

 

僕は戦争映画が大好きだ。

フルメタルジャケット』や『ブラックホークダウン』など、僕が戦争映画を求めるのは、それが「自意識を吹っ飛ばしてくれる装置」だからだ。

 

物理的なまでに鼓膜や皮膚を揺らす重厚な砲撃音。

誰がいつ死んでもおかしくない戦場という緊張感、戦争という人が成し得る「残酷」の極致。

兵士たちは煙草やドラッグ、アルコールをあおって、震える精神を落ち着かせる。

 「ファック」やら「ビッチ」やらが飛び交い、彼らは一時の快楽に身を突き動かし、無慈悲な現実を忘れ、そんな満足気な男どもの口元を下卑た薄笑いが覆う。

 

私の目の前に広がっていた雑多な現実なんて、

戦争という質量によってそのすべてが飲み込まれてしまう。

スパーーーン!と、僕の自意識なんていうファックなシロモノは遠い彼方へとぶっ飛ばされるわけだ。その快感。「あれでいいのかこれでいいのか僕は糞野郎でああもうなんなんだ」とかとかうじうじうじうじうじうじと悩み堂々巡りを繰り返すくっだらない脳みそを、分厚い装甲をも貫通する対戦車弾の破壊力が一掃する。そのたったひとつの砲撃で現実がぶっ飛ぶ。

たとえば、序盤のシャーマンVSティーガーのシーンはかなりクールで、脳みそに直接麻薬を注入されたかのような興奮が体中を駆け巡り、テンションが上がりまくり、「これやべえ!」とか思いながらニヤニヤしちゃう。硬い物質が硬い物質によって破壊され炎上するという、重量感のある映像が最高すぎる。「当時の戦争も、ティーガー1台に対してシャーマン4,5台でようやく勝てた」と評価されるほどで、そのティーガーの破壊力と、なによりもその装甲の硬さは「おいおい、どうすんだこれ…」という絶望感をぞくぞくと感じさせてくれる。

戦車VS戦車ってまじでほんと超かっこいい。

一応、CMとしてそのバトルシーンが公式で上がってる。(いいのかよ…)

まあ、この迫力はぜひ劇場でってことで。

 

と、ここまでは戦争映画=自意識を吹き飛ばす装置として話を進めてきた。

しかし、映画『フューリー』は戦争映画であり「自意識を吹き飛ばす装置」なのだけど、同時に「自意識を揺らす仕掛け」も存在しているという奇妙な構造の戦争映画だった。

それは「上官ドン・コリアーと新米兵士ノーマン・エリソンとの関係性」という仕掛けだ。つまり、他者との交流によって人として成長するというひとつのヒューマンドラマが映画『フューリー』では展開されている。

例えば、映画『フルメタルジャケット』では、上官による人間味など一切ない罵詈雑言の教育的指導がなされ、殴る蹴るの暴行は当たり前。それは「人を殺す」という行為に備えるためだと思うけれども、(例えば、必要以上に敵を馬鹿にし虫のように扱う、人としての尊厳など奪うため、など)その圧倒的な暴力映像にはヒューマンドラマなど差し込む余地がない。

しかし、映画『フューリー』では、厳しく理不尽な上官をブラッド・ピットが演じつつも時折何かに思い悩む仕草が登場する。その人間臭さは、仕事として時には部下に厳しく接しないといけないという一般的な苦悩と繋がって、人々の共感を生む。同時に、与えられた現状と期待にどうにかして応えたい、応えざるを得ない状況に立たされたノーマン・エリソンという新米兵士が登場し、その若さゆえの葛藤もまた共感を生む。自分のこだわりと現実(仕事)との折り合いの付け方。仕事が上手くできず先輩たちに馬鹿にされて怒鳴られて、その現実(仕事)から逃げ出したくなるノーマンだが、結局は周囲の先輩方に助けられて、自分なりにも決意を固め人間的にも成長し、最後にはひとりの男として認められるという、それはそれはとても一般的なヒューマンドラマだ。その人間的成長の証が、自ら率先してドイツ兵士を機関銃で蜂の巣にして「ぶっ殺すぞ!!ファッキンジャーマン!!」って叫ぶみたいな感じなんで、もうなんとも言えないんだけども。
 

ヒューマンドラマ=「自意識を揺らす装置」である。

一方で、戦争映画=「自意識を吹き飛ばす装置」である。

これらが共存したとき、自意識をぶっ飛ばされたと思ったら、実は足元を固定されているのでぶっ飛ぶことができず、その場でずっとタコ殴りにされるというむちゃくちゃな状態になったわけで。

 

つまり、すっげーおもしろい映画ってことです。

戦争映画という一般的じゃない映画に対して、

ブラッド・ピットとヒューマンドラマという一般的な要素を持ち込む。

「戦争映画を観に来てんのにヒューマンドラマとかやめてくれや…」とか思ったけど、うーんでもやっぱりヒューマンドラマは観たあとの余韻もあっていいですねっていう感じです。ねっとりとしているよね。

「オススメの映画は何か?」と聞かれたとしても、『フルメタルジャケット』や『ブラックホークダウン』の名前を出すことは絶対にないが、『フューリー』はイケる。オススメできる。とんがったモノは、一部の人間にしか刺さらないが、そのトンガリが大きくなったとき、それだけで刺さる人の数が多くなる。そんな映画です。オススメです。

 

余談ですが、序盤に登場しドンコリアーに喧嘩を売られた捕虜のナチス親衛隊(SS隊員?)のキャラデザがかっこよすぎるので、要チェックです。

 

予告で気になったのは、同じく戦争映画の『アメリカン・スナイパー』。

戦場での殺し合いは、誰が誰を殺したかは分からない。だがその中で一つだけ例外がある。それはスナイパーだ。狙撃には、その行為自体に始めから名詞が付いちまってる。だからスナイパーだけは捕虜になれない。自分達の仲間や指揮官を殺した仇として、必ずその場で殺される運命だ。byサイトー『攻殻機動隊』より

 

 そして、理論物理学者・ホーキング博士の映画。

一般相対性理論と関わる分野で理論的研究を前進させ、1963年にブラックホール特異点定理を発表し世界的に名を知られた。1971年には「宇宙創成直後に小さなブラックホールが多数発生する」とする理論を提唱、1974年には「ブラックホール素粒子を放出することによってその勢力を弱め、やがて爆発により消滅する」とする理論(ホーキング放射)を発表、量子宇宙論という分野を形作ることになった。現代宇宙論に多大な影響を与えている人物。by wikipedia

 

僕好みのカッコいい映画だろうな。

一般的じゃないキャラクターのストーリーを、難病患者の恋愛モノとして再構成して一般的なモノにしちゃう“物語”の力ってほんとうにすごくて、強いね。