『どーせ無理』と闘う僕のヒーロー・植松努さん

 

 ひねくれてんで、facebookとかで他人が「感動した!」とか「シェアします!」とか言ってると鼻で笑うタイプで、実際にこの動画も「感動した!」みたいな感じで他人がシェアしているのを見つけて、やっぱり「へっ」って鼻で笑ったんだけど、なーんか気になって見てみました。そしたら、途中で涙がボロボロと止まんなくなって、顔面をワンピースの泣き顔みたいにグシャグシャにしながら見てました。

 

ワンピースの泣き顔。

◇泣き虫チョッパー。の画像(1/1)

 

まずね、植松努さんの話し方がすごく素敵。

人柄が伝わってくるような話し方が、心にじわーと染み込んでくるのかな。

少年の心を持ったまま大人になったかのような、そんな印象を植松さんの話し方から感じました(褒めてます)。その一方で、どことなく疲弊した感じもあって、少年にはない人生の経過というか、経験や苦労が滲み出ているかのよう。

 

あとはもうシンプルに、植松努さんは僕にとってヒーローなんです。カッコイイんです。誰かにとって大切なモノが何か大きな力によって抑圧されるという構造、図式、物語が、やっぱり僕は好きなんです。大好きなんです。抑圧されながらも、それでも「好きだからこそ」「大切だからこそ」立ち上がって、闘いを挑む姿が僕にとってはむちゃくちゃカッコイイのです。

 

植松さんの物語のヴィラン(敵キャラ)は、

能力名『どーせ無理』の中学校教師、あるいは『なにそれ自慢?』の同級生。

学校という小さな世界で生きている「ロケット大好き少年」にとって、これほど凶悪な敵はいないんだ。植松さんが思わず涙ぐみ、それでも想いを伝えるべく喉から言葉を絞りだすように語るシーンは、孤独な少年にとってどれだけ非情で冷酷で絶望的だったかを物語っている。

 その『どーせ無理』というヴィランに対抗するために、植松さんは『宇宙開発』を始めた。自分の興味関心・好き嫌い(ロケット)とそれを社会と接続するための技術(モノをつくる)によって、それはとてつもない攻撃力をもった「武器」となる。

あるいは「能力」となる。「才能」となる。「個性」となる。そして、「芸術」となる。

 

そして、僕たちは、
してもらうために諦めるために生まれてきたんじゃないです。
そんなことのために生まれたんじゃないです。

僕たちは世界を救うために生まれました。

世界を救うの簡単です。
世界を構成するすべての人間が、「自分なんて…」と思わなくなるだけで世界を救われてしまいます。今日からひとりひとりができる世界の救い方です。

 

同時に、僕が「救いたい!」と強く思うのは、「コレ好き!」が強すぎるからこそ潰されてしまう人たちであり、『ヒーロー見参!!』のハンス・ベルメール特集(球体関節人形作家:ハンス・ベルメール | ヒーロー見参!!)のときに語った翠星石たんに恋した青年や自分の快感原則に素直な人たちである。だからこそ、植松さんが涙ぐむシーンは、何も出来ていない自分に対する悔しさとか情けなさとか、色んなもんが込み上げてきた。

 

あとね。

仕事で営業やってて、なんかもう全然上手くいかなくて、「自分なんか努力もできない糞野郎で何をやってもやっぱりダメに違いない」って最近思っていて。そんなときに「大事なことは、自分は何をやっても中途半端だなあなんて自分を責める必要なんかまったくなかったんです」とか言われちゃったら、泣きたくなるじゃないですか、信じたくなるじゃないですか、すがりつきたくなるじゃないですか、優しくも不器用な声色で語られるその言葉に。

 

なんかもう俺得すぎる動画なんですわ、ほんと。冗談もおもしろいし。

しかし、現実問題として、

お金が必要な夢とか、お金がないと無理だぁ!っていう夢、
それは、実は、誰かがしてくれるサービスにすぎないんです。
これを待っているだけの話なんです。

っていうのが、正論すぎてヤバイ。

 

「お金が溜まったらアレがしたいコレがしたい」っていうのは、言い訳にすぎないよな…。

 

…ただの動画感想のはずが、タイトルをかっこよくしたら『ヒーロー見参!!』の記事としてそのまんま使えそうなエントリになってらあ。