『HUNTER✕HUNTER』の念能力者は芸術家である。
Webメディアは毎日更新するのがいいのだ、と風の噂で聞いた。
現状は1ヶ月1更新なので、どうにもならんわけですが。
ひとりの芸術家について1か月ぐらい可能な限り調べ尽くしてまとめたいなーという気持ちのほうが大きい。そうじゃないと、僕がやる意味なんてないじゃない。まあ、でも「アレも嫌」「コレも嫌」で読んでもらえるようになるほど人生甘くないですよね。ってことで、もしも本腰いれて『sphinx』をやるなら(『ヒーロー』に改名しようかと悩み中)メインは1ヶ月1更新で、メインのための調べ物の途中で思い浮かんだ記事を外伝として書くのがいいんじゃねえか?と思ったので、今日は外伝記事の日でせう。
10月のメインテーマは、球体関節人形作家「ハンス・ベルメール」。
本番では、いかにこの球体関節人形がカッコイイか?ってことを語るんだけど、今回はこぼれ話として、「漫画『HUNTER✕HUNTER』の念能力者たちは芸術家っぽい」という話をしよう。
ハンス・ベルメールは20世紀の芸術家で、当時の美術界では『シュルレアリスム』という芸術運動が盛んだった。なので、シュルレアリスムについて調べていたのだけど、その途中で遭遇した『ダダ』の創始者トリスタン・ツァラがむちゃくちゃ僕好みでした。
トリスタン・ツァラ=『シュルレアリスム』の前身『ダダ』の創始者。
『意味破壊装置・ダダ』。これほど心躍る言葉があるだろうか。
僕が「芸術家=ヒーロー」だと信じるのは、芸術家の少年漫画っぽさによる。「トリスタン・ツァラが『意味破壊装置・ダダ』をつくりだした」という物語を知ったとき、それはまるで少年漫画に登場する異能力者のようであると想像した。『意味破壊装置・ダダ』という能力によって、生産中心主義の世界に対抗する反逆者と化したトリスタン・ツァラ。
芸術家がバトル漫画の能力者っぽいのは、トリスタン・ツァラだけじゃない。
例えば、日本の現代アーティストの中では、4人しかいない1億円プレイヤーのひとり・杉本博司。
杉本博司の特殊能力は、電気を自在に操る『放電場(Lightning Fields)』。
放電を自在に操りフィルムを直接感光した作品 放電場 (Lightning Fields):DDN JAPAN
1億円プレイヤーのもうひとり、村上隆。
村上隆の特殊能力は、幻獣を召喚する『SUPER FLAT』。
冒頭50秒くらいで、村上隆のキャラクターが女の子を飲み込むシーンなんてもうバトルアニメの典型じゃないですか。
あるいは、海外の有名ドコロでいえば、
「死」を操る能力者(芸術家)ダミアン・ハースト。
(http://sphinxis.com/?p=43)過去記事。
粘土や鉄を操り、『ゴーレム(仮称)』を創造する能力者(芸術家)アントニー・ゴームリー。
(http://design-thinking-backup.blogspot.jp/2011/05/blog-post_03.html)
『ゴーレム(仮称)』の第二段階。
(http://ineedaguide.blogspot.jp/2011/12/antony-gormley.html )
能力名『ゴーレム(仮称)』の覚醒モード。
(http://www.echigo-tsumari.jp/artist/antony_gormley)
あるいは、人々の視覚を翻弄し、幻覚を見せる能力者(芸術家)レアンドロ・エルリッヒ。
能力名(作品名)『スイミングプール』。
(http://www.cinra.net/column/leandroerlich-report)
(http://mikiki.tokyo.jp/articles/-/1910)
などなど。
僕にとって作品名とは、つまり「ファイナルエクストリームファイヤー!!!」と変わらないわけです。芸術家の作品は、ヒーローにとっての特殊能力であり、“必殺技”なんです。それって超かっこいいわけじゃないですか。
能力名は、『ダダ』。「意味」を破壊する能力者。
それが、ツァラにとっての哲学であり美学であり、能力である。
では、『ダダ』とはどのような能力か?
ダダハナニモイミシナイ
ツァラは、『ダダ宣言1918』において「ダダはなにも意味しない」と宣言する。
『ダダ』という言葉は、ツァラが偶然思い付いた言葉で、特に意味があるわけではない。つまり、言葉は「意味の伝達手段」であるから、言葉であるはずの『ダダ』も“意味”を持つはずだった。しかし、『ダダ』は宣言する。「意味はない」と。
ここで、トリスタン・ツァラは“攻撃”を開始する。
『ダダ』という能力によって、「意味」を破壊し始める。
「意味」の破壊とは、同時に大量生産・大量消費時代に対する破壊行動でもある。なぜならば、意味を破壊された「無意味」なモノは非生産的であり、商業として成り立たないからである。意味のないモノを買う人いない。だからこそ、たとえ意味のない商品であろうと、そこに意味を持たせるために「広告戦略」を展開するんだ。「この商品は◯◯だからあなたにとって必要だ」と、広告によって、半ば無理矢理に意味を付加する。
「意味」に溢れた20世紀という社会に対して、トリスタン・ツァラは『ダダ』という能力をもって、闘いを挑む。
意味を破壊する能力者、トリスタン・ツァラ。
そこには、何かに対する“攻撃”としての芸術がある。
それは意図的ではなくて、価値観の衝突として、結果的に攻撃となってしまうだけ。芸術とは「世界で唯一の自分を発見し、その核心を歴史と相対化させつつ、発表すること」であると、村上隆は自著のなかで語っていたわけだけど、それは、「自分の核心=自分の興味関心、好き嫌い、問題意識など自分の心が強く惹かれてしまうモノを追求すること」に他ならない。その結果に起こるのが核心同士の衝突である。核心を「自分にとっての正義」と言い換えてもいいだろう。みんな違ってみんないいってことだ。
さて、ここでようやくタイトルの「『HUNTER✕HUNTER』の念能力者は芸術家である」という話に辿り着きます。『H✕H』に登場する特殊能力「念能力」がまさに芸術そのものである、という自論です。
HUNTER×HUNTER全キャラクターの念能力一覧 - NAVER まとめ
・念能力とは?
例えば、キルアは自分の念能力を「電気の質をもった念に変化させた」けど、
その威力が強烈なのは「家庭の事情」で、子どもの頃から拷問に近い電気を浴びていたから。『H✕H』6巻で、カストロに対してヒソカが言った「容量(メモリ)の無駄使い」というのは、自分にあった念能力を選ばないとその能力との相性がいい人よりも取得するのに時間がかかるということであり、つまり「才能の無駄使い」とも言える。才能は、外的環境によって決まると僕は考える。才能とは、何を美しいと思うか?ということであり、何に心が惹かれるのか?ということでもある。
自分にとっての核心を社会に提出することが芸術である。
そのとき、社会がもつ価値観と、自分がもつ価値観が相反したとき、その芸術的行動は“攻撃”となり得る。しかし、その価値観が世界を覆い尽くすとき、その芸術的行動は“革命”となる。自分にとっての価値観を「シック」に見出したココ・シャネルは、社会が持っていた「豪華絢爛こそ美しい」という価値観を、「美しさ」によってねじ伏せた。自分の価値観で世界を染め上げてやろうなんて野望はもはや漫画やアニメの世界だ。
個性の延長である念能力で、野望を貫くために闘う『HUNTER✕HUNTER』と、
個性の延長である芸術的行動によって、世界に自分の価値観をぶつける芸術と、
僕は同じイメージをそこに見出す。
だからこそ、芸術家=ヒーローなんだ。
なので、「芸術とかアートって難しいよね」「興味ない」とか言わないで、少年漫画を読むみたいにワクワクしたり、テンション上がってほしいわけです。