カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』

カズオ・イシグロがマイブームなのだけど、『わたしを離さないで』がこれまたよい。ロンドン旅行中に読んだ『日の名残り』の、「どうしてこうなっちゃったんだよ…!」という現実の理不尽さ・残酷さがもう病み付きで、どうしようもない現実と向き合ったときの、どうしようもない人間の悲哀がすごく好き。『わたしを離さないで』も、徐々に明かされる真実が、本を閉じることを許さず、没頭して読んだ。カズオ・イシグロは、情景描写や状況描写が上手い。例え話の出し方がとても自然で、しかも「ああ、あれね」と納得感もあり懐かしくもあり既視感があり、作品全体にノスタルジックが漂う。主人公のキャシーが社会人になってから学生時代を振り返るという大筋なのだけど、まるで思い出のアルバムを1ページ1ページ捲るかのような不思議な感覚があった。それは、悪ふざけをしたり、喧嘩をしたり、恋愛をしたり、どこにでもある学生時代。ひとつひとつの出来事に対する反応や感情の変化が、それは学生ならではの感受性なのだけど、とても丁寧な語り口で伝わってくる。文章を読んでいるのに空気感が伝わるというのは、やっぱりすごいこと。これほど美しい文章を書ける人はいない。

でも、名前が出る頻度が一番高かった人物といえば、やはりスティーブでしょう。どういう人だったかはわからずじまいでしたが、ポルノ雑誌の愛好者だったことだけはわかっていました。(中略)ともあれ、そういう雑誌がどこかから出てくると、みなが異口同音に「スティーブの置き忘れ」だ、と言いました。コテージで見つかるポルノ雑誌は、どれもこれもスティーブの置き忘れだ、と。申し上げたとおり、スティーブがどんな人かわたしたちは知りませんでした。

 

この二人がここ数ヶ月間、コテージでどう過ごしていたか、わたしには見えるような気がしました。きっと前日までこの話題を繰り返し語り合い、考え合ってきたに違いありません。最初はおずおずと取り上げ、怖くてすぐに放り出したでしょう。わきへよけてみたものの、気になって気になってしかたなく、またそっと取り上げてみたでしょう。そして、わたしたちにぶつけてみることを考えました。

 

そう言った瞬間――マダムの名を出した瞬間――わたしは間違いを犯したことに気づきました。ルースがわたしを見上げました。その顔が、一瞬、勝ち誇ったように輝くのが見えました。ときどき、映画でそういうシーンを見ます。一人が相手に銃を突きつけています。いろいろなことを命じて、やらせます。でも、一瞬の間違いがあり、取っ組み合いがあり、銃は相手の手に移っています。形勢逆転。いままでやられていたほうが、やっていたほうを見て、にやりと笑います。こんな幸運、信じられん。その笑いの裏には、あらゆる仕返しのアイデアが渦巻いています。わたしを見ているルースの表情がそれでした。

素敵な文章をいくつか抜粋。

 

一方で、それだけで終わらないのが、カズオ・イシグロ作品。そのキーワードは「違和感」。『日の名残り』もそうだったけど、主人公が過去の思い出を振り返りつつ、現在の物語が進行するわけだけど、美しさすら感じる主人公の語り口調に、事実として見え隠れするいくつかの違和感。酸いも甘いもある学生時代の雰囲気に酔いしれているうちに、「あれ?」と思います。だけど、そう思ったときにはもう手遅れで、そこからジワジワと、美しい世界が汚く理不尽で残酷な「何か」に侵食されていることに気付き始めます。それが、その瞬間が、もう最高に、むちゃくちゃ素敵で、ほんとうに美しいわけです。『日の名残り』とはまたちょっと違ったカタチなんだけど、それでもこの世界で誰しもが時々痛感する残酷さ(そして、同時にそれはカズオ・イシグロの残酷さでもある)が鬱々と潜んでいる。

 

そういう、残酷だけど美しい。そんな小説です。

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)