世界中の人と「歌う」を共有するCEO・文原明臣

文原明臣という人。

nana』Founder/CEO。誰でも簡単に「世界中の人々とWe are the worldを歌えるようにする」というイメージを、iPhoneアプリというテクノロジーによって実現させようとしている。そのカタチが「nana」というアプリ。

 
Let's sing "We Are The World"!! | nana (social ...

 

「芸術」とは、「あなたは誰ですか?」という問いに対する答えに近い。

つまり、それは個性であり、生まれてからこれまで、「あなた」をカタチ作ってきた経験のこと。現代アートの流れとして、表現手段が絵画や彫刻以外も受け入れられ、「なんでもあり」になった昨今。だから、僕にとっては、絵描きも漫画家も建築家もファッションデザイナーも陶芸家も、あるいはプログラマーだって芸術家になり得る。「あなたは誰ですか?」という問いに対する真摯な態度さえあれば。(※文原明臣さんはプログラマーじゃないけど)

だから、学生時代から歌が好きだった文原明臣さんが、「世界中の人々とWe are the worldを歌えるようにする」というイメージを持つことは、むちゃくちゃ必然的というか、納得感あるというか。まず第一にその欲求があって、その欲求をカタチにするための手段としてプログラミングがあった。テクノロジーがあった。インターネットがあった。

ひとつの流れとして、IT界隈に人々が殺到している。そこで一旗揚げんと息巻いている。それをずっと「つまんないなあ」となんとなく僕は感じていた。例えば、facebookが流行ったから次はクローズドなソーシャルメディアだ!というように動く人たちがITやビジネス業界には多いイメージがあって、それは正直おもしろくない。名刺管理アプリを名刺屋の息子が開発するならおもしろいけど。マーク・ザッカーバーグは、女の子の写真を必然的に集めるためのシステムとしてfacebookを立ち上げたというのは有名な話だけど、元々無線配車手配マニアだったジャック・ドーシーが(無線配車手配マニアとは、世の中を飛び交っている無線の声をキャッチして、街中で何が起きているか?を知ることを楽しむ人のこと。無線は、救急車や消防車、宅配業者に至るまで利用している)twitter創業するというのはむちゃくちゃおもしろいストーリーだ。

引き篭もりのオタクが渾身の想いでカタチにするクローズドなソーシャルメディアは素敵だし、名刺屋の息子が起死回生の一撃で開発する名刺管理アプリも素敵だし、歌が好きな人が「世界中の人々とWe are the worldを歌えるようにしたい」という想いで始めた「nana」というアプリも素敵だ。

 

nanaiPhoneだけで歌声を録音・共有し・コラボを楽しむことができる、無料の音楽サービスです。

iPhoneマイクを使って歌や音声をどこでも録音し、エフェクトもかけてnanaで共有すること、フォローしている人達の共有サウンドを聴いたり、拍手やコメント機能でコミュニケーションできること、そして気に入ったサウンドとハモったり、合唱したり、楽器音を入れるなどのコラボレーションをすることができます。

nana-music Product Info | プロダクト情報

 

イメージの源は、

2010年ハイチ大地震復興のための『We Are The World 25 for Haiti』。


We Are The World 25 For Haiti - Official Video ...

 

世界中の人たちで平和を歌うためのテクノロジーだなんて素敵だ。

「歌を共有すること」はいろんな人がいろんなサービスを出してるけど、「歌うことを共有すること」はサービスとしてあまりない(たぶん。リサーチ不足:追記 Roland x MYTRACKs)自分が歌った曲に、他人が(しかも、見知らずの!)歌を合わせてくるなんて、歌うのが好きな人からしたらとてつもない快感だろうなあ。僕は歌うことをあまりしないけれど、例えばそれは、ライブハウスで見ず知らずの人と盛り上がるみたいなものかな。好きなアーティストの音楽で一緒に。そこに会話なんてないんだけど、でもそれってそんなモノ必要ない!ってくらいの快感だし、だからこそ世界中の人と、違う言葉を話す人たちと、心の底から大好きな曲を歌えるし、大好きな「歌う」という行為を共有できる。ビートルズのような圧倒的なアーティストが平和を歌い、それを大勢の人たちが国境を越えて聴く時代は20世紀で過ぎ去り、21世紀は大勢の人たちが国境を越えて平和を歌い合う時代なわけだ。元々、『サマーウォーズ』や『攻殻機動隊』のようなSFが好きだったという文原明臣さんらしく、その思い描く未来像はインターネット以前では想像もつかないようなモノだ。それを実現しちゃう「nana」というアプリは、数ある音楽アプリの中でも素晴らしく異質だし、その未来像に酔いしれるコアなファンは多いみたい。

 

一方で、ひとつの自分の核心をカタチにするためには、それなりの努力やスキルがやっぱり必要で。プログラミングによってサービスをカタチにすることやそれをビジネスとして成立させることなど、やらなきゃいけないことはたくさんあるに違いない。「サービスをカタチにする」と一言でいっても、ユーザーにとって使い勝手のよいデザインの追求であったり、重さやバグの回避など様々。「歌う」ことを大事にする「nana」は、録音するときのデザインがマイク!さすが!

 

「歌う」という言葉の印象が持っている、その切なさは一体なんだ。それを共有するだと?むちゃくちゃ美しいじゃないか。「歌う」ことはもうずっと昔から、 それもきっと人類が言葉を持つ以前から行われていた。原始時代から。それはたしかだ。だけど、日常生活において「歌う」必要性は、実は、それほどないのである。それでも、人は 「歌いたい!」と願う。人々が歌うのは、叶わぬ恋だったり自分の弱さだったり、世界に対する希望だったりする。この儚さたるや。喉を潰しながらも世界に何かを残そうとする必死な歌声も、涼しげでゆったりとした風にさえもかき消されてしまうような小さな歌声も、偶然出会った見ず知らずの人たちと肩を組んでみんなで歌う歌声も、どれにしたって「歌う」ということは美しい。それを共有するアプリ「nana」が、美しくないわけがない。