すべてを反転させる芸術家・荒川修作
荒川修作について。
芸術家、建築家、あるいはそれらを否定した人。
荒川修作は『天命反転』というキャッチフレーズを掲げて、「死なないこと」の実現を、あるいは「人間はいつか死ぬ」という常識を反転させよう(=克服しよう)としていた。その彼の核心を、頭の中にある核心を、現実に生み出した結果として、『遍在の場・奈義の龍安寺・建築する身体』『養老天命反転地』『三鷹天命反転住宅』が誕生した。
・遍在の場・奈義の龍安寺・建築する身体
・三鷹天命反転住宅
①「どうして天命を反転させようとしたのか?」
芸術家は(そして、人間なら誰でも)自分にとっての興味関心・好き嫌いや問題意識があると思うのだけど、荒川修作にとってはこの『天命反転』というフレーズこそが、その興味関心、つまり自分の快感原則だったのかもしれない。「かもしれない」というのは、そのあたりについてはあまり語られていなくて、荒川修作についての説明やインタビューとか読んでも、「幼少より「死」という与えられた人間の宿命をのりこえようと(=それ以外に生きる仕事はない、と確信し)(三鷹天命反転住宅 – 荒川修作+マドリン・ギンズ » 荒川修作+マドリン・ギンズについて)」ぐらいのことしか書いてなくて、「いやなんでだよ」という疑問は現状では晴れず…こういうことはちゃんとインタビューできるようになりたいなーとか思いつつ。だけどまあ、荒川修作は幼少の頃から、手術のお手伝いをするほどお医者さんと交流があったようなので、「人の命を救う」という意識はずっとあったのかも。あるいは、10代の頃に「お前は肺結核だ。あと半年も持たない」と宣告されたこともあって、死への対抗意識みたいなモノが徐々に芽生えていたのかも。僕としては、荒川修作は究極的なあまのじゃくで、とりあえずなんでも否定したい人だったんじゃないかな、と思っている。
②「どうやって天命を反転させるのか?」
「死」をどうやって克服するのか?もっと言えば、永遠に生きるためにはどうすればいいのか?ということなんだけど、そこで荒川は人間の肉体へと目を向け始める。そこに至る理由がいくつかあるんだけど、大きくわけて2つほど。まずは海外経験。25歳のときにニューヨークへ渡った荒川は、そこで「日本人として生まれた意味」について考えた。それはつまり「日本語で物事を考えるとは?」とか「日本人としての感性とは?」とかとか。その過程で、彼は英語と日本語の違いについても考えることになり、どの言語もジェスチャーによってコミュニケーションを補完していることに気付く。ジェスチャー=身体ということ。さらに2つ目としては、1970年代に、生まれたての赤ちゃんを10年間研究していたことも大きいと思う。そこで、いわゆる自我と言われるもの、人間の人格形成は外的環境からの影響が大きいことに気付いた。このあたりは少し専門的な話になってしまうので、ちゃんと勉強しないといけないんだけど、赤ちゃんは自分と他者(あるいは、机とか床とかも)を身体を動かすことで認識する。手を動かしても床が動かなかったら「あ、これ(床)は俺じゃねえのか」と。その後、人間は成長していく上で、無意識のうちに外的環境から得た情報によって人格を形成していく。さらにいえば、人格とは脳であり、脳にとっての外的環境は身体をも含むことになる。このような経験によって、荒川は芸術から建築(外的環境)に興味を移していく。
元々、幼少の頃から(上記のお医者さんの命令で)デッサンをしていた荒川は、お医者さんの奥さんが美術家だったことや「お前絵が上手いから絵描きになれ」とか言われて育ったことから、自然と美術の道へ進んでいく。この頃の荒川にとって、自分の核心を現実に落とし込む手段は、芸術だったわけである。こういうのとか。
だけど、そのうち、荒川は芸術(ドローイングとか彫刻とか)をやめる。
絵画や彫刻などの芸術は、結局、フィクションだからだ。
欧米人は制度を作るのが得意だ。言葉によって世界を規定する。汚い言葉を使えば、芸術も制度に成り下がった。美学という言葉によって、「美しさ」にルール(=制度)を作ってしまった。しかし、どんなにルール上は高得点でも、あなたにとって美しくなければ美しくないのだ。芸術は心の感動によって生まれるモノだと思うけれど、いつしか芸術は言葉遊びの延長になってしまった。美術館に展示されるモノになってしまった。それを壊すのが、荒川修作の提案する「建築」という概念である。それが彼にとっての芸術だった。信じたモノだった。
この荒川の発言はおもしろいなーと思っていて、僕が考える「芸術」はずっと結局フィクションだったわけだけど、そのフィクションを他者が利用するところまで想定するべきだ、というデザインのような概念(=建築)を導入している。フィクションに他者(の身体)が介入した途端、それはフィクションではなくリアルとなる。そして、身体(あるいは五感)と相性がよいのが「建築」。ざっくり言えば、指一本はいらないレオナルド・ダ・ヴィンチの絵画に対して、建築は人間がそのまま入り込む。身体が入り込む。
ここで、ようやく、荒川は「天命」を反転させることになる。『遍在の場・奈義の龍安寺・建築する身体』『養老天命反転地』『三鷹天命反転住宅』を作ることによって。まず、西欧的なアートという常識に対する反転が存在する。(「人間は誰しも死ぬ」という“常識”の反転が荒川の目的だったのではないか)西欧人は元々、身体を軽視する傾向にある。そこに、「身体こそ大事だ」という概念をぶつけて、さらに、建築という美術館(西欧的アート鑑賞法)に収まらない芸術をぶつけた。そして、もうひとつの反転は、外的環境をコントロールすれば「死なない人間」も現れるんじゃないか?という「天命」への反転である。つまり、人間が死なない(少なくとも、より長生きできる)ような外的環境の条件を探しだして、人間が日々生活する空間(外的環境)をその「死なない」条件にそってコントロールすれば、「天命」を反転できるのではないか?という実験である。それが『遍在の場・奈義の龍安寺・建築する身体』『養老天命反転地』『三鷹天命反転住宅』だ。
荒川修作は人生をかけて天命を反転させようと奮闘したわけだし、人類の極限に挑戦しているかのようにも思えるけど、「やっぱり芸術家は考えてることが他の人とは違うね」とは思ってほしくない。荒川修作はたまたま「死」というモノに向かったけど、何に興味が向くか?ということは、僕はピーマンが嫌いだけど、あなたはピーマンが好きなんだね、ぐらいの差異でしかないんだ。好みの問題だ。僕がこのエントリで伝えたいことは、そして荒川修作が好きなのは、芸術の「美しさ」はあなた自身が決める(感じる)ということ(を、彼が伝えようとしたから)。芸術や美術は、いつしかルールによって、その美しさを決められちゃったけど、自分が美しいと感じるモノを、自分が美しいと感じる手段で表現すればいいだけ。その結果として、ワクワクするような、子ども心くすぐるような、3つの空間(公園であり住宅であり)を表現した荒川修作がすごく好きだ。「どうすりゃ人は死ななくなるんだ?」と必死になって考えて悩んで、その頭のなかの「何か」を、社会との接点を持ちえるようにした表現が、荒川にとっては「建築」という手段だったということ。
正直、『三鷹天命反転住宅』に足を運ばずに、荒川修作を論じるのはどうしても手落ち感あるなーとは思いつつも、丁寧じゃないなあ…とは思いつつも、自分にとっての核心を編集の軸にして、メディアを作ってみたいという想いが日々強くなり、その最初は荒川修作がいいなーと思っちゃったので、なかば強引にエントリ書きました。近々、東京の三鷹にあるので行ってきます(できれば、ほかの2つも行きたいけどな!)ので、またレポエントリしますので、お許しを。
あと、これも観たい。
そして、2010年に、永眠。