幼児化する芸術家たち

先週末、大雨&暴風雨の中(傘がお亡くなりになった…っ!)川崎市岡本太郎美術館にて開催中の「第17回岡本太郎現代芸術賞展」に行ってきました。春休みに、ロンドンとバンコクのアート界隈を観ていたので、「現在の日本はどんなでしょうか?」とも思っていたので、ちょうどよいタイミングで観ることができてよかった。開催してからだいぶ日が経っていたので、受賞作に関してはネットなどで拝見していて、お噂はかねがね状態。展示作品の中で、これ好きだなーと思ったのは、知花玲央さんの作品。ユーモラスな軽い表情の中にもダークな部分が垣間見えるのがグッドでした。心臓のような立体部分の不気味さもよい。

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「第17回岡本太郎現代芸術賞展」を観て感じたのは、「日本現代アートは、幼稚化傾向にあるのかも」ということ。いくつかの作品を通じて、そう感じたのだけど、最初に「あー、子どもっぽいなあ」と思ったのは、高本敦基の『The Fall』という作品で。

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川崎市岡本太郎美術館

高本敦基/TAKAMOTO,Atsuki

 

あとは、サエボーグ『Slaughterhouse-9』や小松葉月さんの『果たし状』、柵木愛子さんの『この街』とか。吉田和夏さんの『昼の星座』にもどことなく懐かしさが香った。「幼稚化」というと、なんとなく批判的に思われるけど、この世界はどんどん「すごくて」「わかりやすい」モノ(=子ども受けするモノ)へと向かっていっているし、「理性によって、個人の欲望と社会との接点を思考錯誤する行為が芸術」という僕の価値観から見れば、個人の欲望は突き詰めれば幼児期の体験に大きく依存していると思っているので、とても誠実な作品たちだと感じた。『The Fall』を観たときは、「ああ、そうそう。子どもの頃、洗濯バサミを繋げていったらどうなるのかなー、とか思ったよね、(特に男の子なら)。」とか思って、むちゃくちゃ共感した作品でした。観たかった非日常を観た、というか、子どもの頃に憧れた世界と今再び出会うことのできた喜び、それが大きかった。高本敦基の原体験と僕の原体験が共鳴したとき、そこにある種の感動があるのでしょうか。日本としてフレームで捉えると、大きな物語が崩壊し、個々の物語が必要となっている現代において、個々の物語を追求した結果、きっと幼児期の原体験に辿り着くのではないか。

ただ、とは言え、「いつまでも子どものままじゃいられない」わけで、その幼児期の原体験を、大人(=理性や知識)によって社会との接点として出現させないといけないのだけど。芸術家の成長というモノはよくわからないけど、自分の原体験について理解している人は強い気がする。