ビートルズはヒトラーになり得たかもしれない

ビートルズは16ビートによって平和を歌い、『虐殺器官』のジョン・ポールは虐殺を謳った」というのがうちの兄貴の言葉で、僕はこれに「なるほど」と感銘を受けるわけです。音楽史はあまり詳しくないので、細かいところは違うかもしれませんし、ジョン・ポールは16ビートを使ったわけでもないでしょう。しかし、理屈抜きの感覚でノれちゃう音楽は、人の心を動かすという意味で、ものすごい力を秘めている。1950年代のロックは8ビート・16ビートを刻み、黒人たちの反体制的音楽だったのだけど、そこでイギリスから白人受けのよいビートルズが登場し、当時の音楽の商業化とあいまって、そのロックという音楽は爆発的に広がった。16ビートの起源は、人類最古の音楽とも言われるアフリカの狩猟採集民ピグミーの「ポリフォニー」まで遡る。彼らは祝祭のたびにこの16ビートで音楽的快感を味わった。バリ島ケチャガムラン、日本の太鼓芸能も古典芸能の能も16ビートの構造。つまり、人間の根本的快楽としてずっと16ビートは存在する。快感を求める生き物である人間は、その16ビートの心地よさに酔いしれる。その結果として、ビートルズは伝説になったという側面もあるだろう。幸い、ビートルズはその16ビートを使って「平和」を歌った。まあ、ビートルズも最終的にはちょっと行き過ぎて、ドラッグを是とするヒッピー文化を動員したけど。つまり、16ビートあるいは人類の根本的快楽を刺激するなにがしかの力を利用すれば、ヒトラーすらも肯定することが可能である。僕は常々、自分の快感原則に忠実であればそれほど悪い人生にはならんだろう、と思っているのだけど、この快感原則が厄介で、周囲の環境次第でじわじわと快感が変わる環境依存型快楽(=気分重視)なのである。脳の気分にとって音楽が与える影響はものすごく大きいのだろう。ビートルズが「平和」を歌ったことで、ベトナム戦争が終焉へと傾く大きな要因ともなった。一方で、おそらく『虐殺器官』のジョン・ポールは、(作中では具体的な方法は書かれていないけど)人類の根本的快楽(=無意識)に働きかけて虐殺を煽ったのではないか。あるいは、第二次大戦前のドイツ(もっと言えば日本も)は、ヒトラーの演説などによって、戦争へと突入することに違和感のない雰囲気だったのかもしれない。16ビートではないにしろ、演説もけっこう気分に来るよなあ。だから、感情や気分に身を任せるのはいけない。感情は変化するのに対して、情報が固定的であることは大きな救いとなる。情報とはつまり倫理観や歴史を始めとした知識である。もちろん、情報ばかりを重視していては快感が満たされず、ストレスで死んでしまうので、感情(快感)を大事にしつつ、時代の流れや知識を比べて、常に物事に対して疑問を投げかけることが大切だと考える。複雑系というカオスを相手に、感情(変化)と理屈(固定)のダブルスタンダード、右手には剣を左手には楯を、な素晴らしい戦闘スタイルである。個人的に、「すごい!」モノ礼賛主義はちょっとコワイなあと思っていて、すごいモノはいつだってすごいわけで、すごい!と感じるのは脳がたまたまそういう仕組みだったからかもしれないですし、もちろん「すごい!」という快感は人類にとって大切な要素で否定されるべきモノではないけど。自分の感動が一体何に依拠しているのか?という冷静な態度(身も蓋もないけど)は、常に持っているべきだな、と思うわけです。