カズオ・イシグロの『日の名残り』

読書感想文:
カズオ・イシグロの『日の名残り』を読んだ。この本を手に取った経緯は、以前のエントリで書いたので割愛するとして、久々に小説という創作物が持っている力強さや魅力を存分に味わった作品でした。小説好きであれば、この感動・体験の素晴らしさを知っていると思うけど、メールを捲る手がとまらないというあの筆舌しがたい、幸福に満ちた感覚である。僕好みというフィルターを通過している『虐殺器官』はさておき、「誰にとってもなにがしかの意味をもたせるに違いない」という確信が持てる小説として、『アルジャーノンに花束を』という小説があるんだけど、それに匹敵するほど『日の名残り』は良かった。「日々を丁寧に生きてさえいれば、きっとどこかのタイミングで誰にとっても素晴らしい読書体験になるだろう」という確信。もしも将来子どもを持つことがあったときに、その子たちにそっと渡してあげたいと思えるような素敵な本と出会いたい、と常々思っているんだけど、そのうちの一冊となる、というか、なった。べた褒めしすぎているような気もするけど、今の時点ではほんとうにそう思っている。
何が、どう良かったのか?ということをゆっくりと振り返ってみる。おそらく物語の核心に触れてしまうので、ネタバレが嫌いな人は読まない方がいいかも。今、Wikipediaを見てみたら、物語の核心が最初の概要でがっつりと書いてあるので、こちらも読まない方が賢明。(注:エントリを書いている途中で気が変わったので、ネタバレはありません。以下は当たり障りない概要です)


主人公はスティーブンスという執事で、英国の由緒ある伯爵・ダーリントン卿のお屋敷で働いていました。その期間は、1920年代から1950年代あたりまで。ダーリントン卿に仕えていた頃の話は回想シーンであり、物語の主軸は1956年で、アメリカ人の資産家・ファラディの下で働くスティーブンスが休暇でイギリスの田舎を旅するという話。昔の同僚であるミス・ケントンに会うことが旅の目的のひとつなのですが、その道半ばで出会うイギリスの田園風景や片田舎の静かな池の様子が、その光景をみたスティーブンスの丁寧な語り口調と相まって、とても美しい風景として読者の視界に広がってみえる。また、執事という仕事に対するスティーブンスの態度、あるいは実際に彼によって語られる仕事に対する哲学のようなモノが、それこそ紳士的とでも言えるほど丁寧で思慮深く、なによりも誇りに思っている様子が文章を通じて伝わってきて、読み進めていて好感を抱くというか、とても気持ちのよいものである。一方で、読み進めるうちに沸々と起こる妙な違和感があり、それはカズオ・イシグロによる残酷な叙述的トリックであり、そのトリックにハマるとその先に待ち受ける絶望を感じずにはいられない。僕はこの小説の美しさの裏にひそむ狂気のような感覚がたまらなく好きなのだ。この美しい絶望とでも言えるようなバランス感覚は、ページを捲る手を止めさせない。「信念」や「自分なりの核心」というモノについて、いまいちど立ち止まって考えるきっかけになるような、そんな小説でもある。

以下、ネタバレ---として、より具体的な話を進めたかったのだけど、どうにもそれは無粋のようにも感じる。この小説を読むことで、「夕日のなかで、ベンチに座って感慨にふけるスティーブンスの後ろ姿」という言葉に対する印象が大きく変わるはずだ。この感覚を味わってほしいので、とりあえず今回のブログはここまで。

 

日の名残り (ハヤカワepi文庫)

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