ロンドン旅行が終わって

ロンドンでのスリや強盗らとの死闘は、僕の過剰防衛ともいえる警戒心によってその片鱗すら見せずに終わった。みごとな不戦勝である。最終的には、買っていったショルダーバックも宿に置いて、地元民ですけど何か?的なオーラを醸し出す(観光客以外は狙われないらしい)ことをしていたのだけど、すれ違う日本人観光客たちは肩がけバックを掛け(強奪されやすいらしい!)カメラを携え(わたし観光客です!アピールは狙われやすいらしい!)観光ブックを堂々と開いている(同上:僕は携帯で地図を写メるなどして対応した)という有り様で、「ああ…彼らは狙われるぞー…」と不安に思うよりもむしろ、「…あれ?僕ってもしかして警戒しすぎ?」と自分の慎重さに呆れ果てるという事態に陥ってた。警戒しすぎて気疲れしたのか、飛行機での長時間移動が辛かったのか、あるいは噂通りの陰鬱さが精神的にきつかったのか、「疲労感」というモノがすごくあったように思える。そう言うとあまり楽しんでないように思われそうだけど、この「疲労感」はチェルシーに行った時に感じることができたイギリスの陰鬱さを肌で知ることができたという意味で、ものすごく意味のある「疲労感」だったと思う。同時に、ものすごく警戒心が強い(おそらく人一倍)ことを改めて確認できたという「疲労感」である。チェルシーについては別エントリで「英国と小説家と気分 -チェルシーを歩いて思ったこと-」みたいな感じでまとめようと思うけど、強い警戒心については、ある本能的(無意識的)欲望=ロンドン行きたい!という未経験の出来事に対して、何十にもセーフティネットを張って実行に移すというスタイルなのだと再認識できた。何かを始めるときは、それに対するセーフティネットを構築さえすれば行動できるはずだ。あるいは、本能的恐怖を理屈でねじ伏せるしかない、とも。

まあ、ロンドン旅行での自己嫌悪はさておき。
今日明日はゆっくりと家で過ごす時間があるので買ってきた紅茶でも飲みながらじっくりと振り返りでもしようかと思う。旅行中、「あ、これはブログに書いてやろう」と思う機会が増えたことはおもしろかった。ちなみに現在書こうと思っているテーマは「フィッシュ・オア・チップス論」「ダミアン・ハーストはなぜ評価されたのか?」「英国と小説家と気分」「ヘイワード・ギャラリー見聞録」あたりだろうか。ウェストミンスター寺院に行って「ボクもこういうの建てたい」とか、美術館やギャラリーで出会った素敵な作品たちを紹介したいって思っているけど、まだ検討中。とりあえず、このエントリはブログで書くほどじゃないようなイギリスを淡々と紹介しようかな。

 

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なんかいる。

 

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噂のBanksy。

 

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こちらもBanksy。

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チャーチル像がかっこよすぎる件。

このボスキャラ感やばい。

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どなたか存じませんが、こちらもボスキャラ感やばい。

けど、序盤で出てくる比較的弱いやつだな。

 

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ボスキャラ勢揃いしてる広場。