押井守監督作品「Avalon」

映画を観たので久々に感想エントリを。

まずは押井守の「Avalon」。
押井守界隈の話題によく登場するこちらの映画。
「ああ、押井守はこの絵が撮りたかったのかなー」と思うシーンが多い映画。

OPが特にそう。6:50以降のスタッフロールが完璧すぎる。川井憲次の音楽が素晴らしいっていうのもあるんだけど、ジリジリジリジリみたいなノイズが入るのがいいし、それにあわせてマトリックスでお馴染みのプログラミングコードでスタッフの紹介をするあたり「Avalon」っぽいし最高。あとは最初のシーンで、戦車が画面に入ってくる瞬間とかはもう狙ってる感たっぷり。=僕好みっていうことでもあるんだけど。「ブラックホーク・ダウン」とか「フルメタル・ジャケット」とかで、戦争映画おすすめ10選!まとめを作るとしたら、ちょっとした外し役というか、ジョーカー枠として「Avalon」を入れたいかも。東欧ポーランドでの撮影ということで、東欧革命あるいは社会主義時代のソ連介入あたり?をモチーフにしているのでしょう、東欧っぽい町並みを戦車がキャタピラを鳴らして進撃する様はかっこいい。主人公のアッシュがマシンガンを乱れ撃つ描写なんて「そうそう、その角度!その体勢で撃ってほしいんだよ!」というこっちの願望を完全に満たす最高な映像に仕上がっている。作品の技法としても、実写でありながらもCGなどで加工しているのでしょうか、とても違和感のある(非現実=それこそゲームっぽい)映像で、だけどそれが過剰ともいえるゲーム性との融合を上手く果たしている。つまり、主人公のファッションや小物等々共々ゲームっぽい。もっと言えば、「あ、このカットはアニメのカットっぽい」と思えるほどに実写だけど虚構な雰囲気(アニメっぽさ)が現れている気がする。そして、それはこのゲームの終盤でも登場するテーマのひとつであり押井守の一貫としたテーマでもある「虚構と現実」について。押井守は、ストーリー以外においても、何かしらのメッセージを込めるのが上手い。「スカイ・クロラ」の場合、映画に対する「退屈だ」という鑑賞者の感想ですらひとつのメッセージに組み込んでいる。「Avalon」の場合、映画の中で現実(実写)と虚構(CGやアニメっぽさ。白黒からカラー)を混ぜ合わせるという映画制作の手法によって、「現実と虚構とは?」というメッセージを発信している。…あくまでも仮説ですが。「仮想ゲームでわちゃわちゃやってたら、ゲームオーバー=リアルでも死亡という強制イベントが発生したでござる」系の物語は、いったい何が最初なのだろうか?SAOが登場したときには、「ああ、いつものあれね」と思った記憶があるので、もっと前からあるんだろう。HUNTERXHUNTERのグリードアイランドも同じ系統だよね。ググっても出てこないので、なんともしがたい。
最近、物事の根本を辿ることがきっと大事なんだろうなと思っている。何よりも楽しいし。押井守が「パクるならオリジナルをパクれ。オリジナルのコピーをパクっても劣化コピーでしかない」と言っていて、実感としてはないけど、きっとそれは正しい。そして、元ネタがわかった瞬間というのは、なかなかの快感で、ちょっとした優越感のような感情も沸き起こってくる。他者との違いを感じて悦に浸るタイプの僕にとって、それはとても楽しい遊びなわけ。あるいは、自分の好きなモノに対して「俺はここまで知ってるんだぜ?」とドヤ顔でいられるのも大きい。「他人の笑顔で幸せになれる」タイプではないので(少なくとも今の時点では)、理性の面では「もうちょっとまともな人間になれませんでしょうか?」とも思うけど、そういう性格だしそういう快感原則なのだから仕方がないのでしょう。オタクやマニアというような言葉に憧れちゃうのだから仕方がない。