ひとはなぜ憧れるのか?

作家・平野啓一郎さんの言葉。

父親との会話の折に、「ボルトが100m走で10秒の壁を超えた瞬間、ほかの選手も10秒を超えることができるようになってきている」と言っていて、「ああ、人間(の脳)って単純だなあ」と、そのときはボンヤリ思ったのだけど、平野さんのツイートを見て、「あれ?やっぱり人間ってすごくね?」と思う次第であります。進化云々で言えば、人間という生命体(あるいは、情報生命体)が半永久的に生き残っていくことが進化の目的であり、脳の発達はそのための手段である、というのはひとつの共通認識。ひとりの人間だけで「ボクは半永久的に生き残るんじゃあ」とか無理なんで、子どもを産んだり仲間を増やしてリスクを軽減するんだろうけど、そのとき個体ひとつひとつが各自勝手に得た「分散された知識や経験」を、人類全体で共有するためのツールボックスが脳。松岡正剛の言う「模倣」の機能。つまり、ミラーニューロン。…上手いこと出来てんのなあ。人間も犬や猫、ライオンやクジラなどの生き物と同じであるので環境云々とよく言われるけど、進化の段階でいえば、人間はもう動物を超えてんじゃないの?と直感的に思ったり。情報生命体にとっての最適解が、人類というスタイルであり、動物というスタイルはもう古いという暴論。動物というか、爬虫類?けど、この世界の生き物で、真似をしない生き物っているのだろうか?このあたりはちゃんと調べないと結論は出せませんが。人間と動物の関係性については単なる妄想の域を出ないけど、「人間の脳はすべて繋がっている」という直感は、けっこう確信に近いような気がする。例えば、スポーツとかで超人的なプレーを見たとき、むちゃくちゃ興奮すると思うけど、それを人類の快楽とすることで、人類をより高みへと導くためのシステムにしたのかもしれない。「憧れ」というシステムは、人類が勝ち得た進化のための機能である、と。

追記:

そういう観点から言うと、「攻殻機動隊」にて登場するタチコマの「並列化」はおもしろいシステムだよなあ。半ば強制的に「分散された知識や経験」を共有するわけで、人類もそういう時代がくるかもね。そうなるとありがちな反論(?)として、「ほんとうの自分とは?」という言葉が出て来るけど、記憶は意識(テキスト)で改竄可能であり、ほんとうの自分は無意識(攻殻機動隊での「ゴースト」)なのかな。等々。

タチコマにおける記憶の並列化と人間におけるそれの違いについて。 - Togetterまとめ

もうすぐ実現しちゃいそうな「記憶を共有」できる世界がこわい。 | 【旧】miyasho88 blog

攻殻機動隊が現実に - 脳に埋めたチップによって記憶を複製することに成功 | DDN JAPAN

 追記2:

一方で、どんなに記憶などのソフトウェアを並列化しようとも、ハードウェアたる肉体は並列化できないというのはちょっとおもしろい。思想や経験をいくら真似しようとも、それによって刻まれた顔つきまでは複製できない。つまり、「ほんとうの自分」とは肉体に宿るものであり云々というのは、どうにも中古感ありすぎるんだけどね。しかし、肉体のサイボーグ化によって「ほんとうの自分」という肉体ですら作りかえ可能であるわけだから、肉体こそ自分!というのもまたおかしい。