シュールな笑いでなぜ笑う

僕はシュールな笑いが好きだと自覚している。しかし、どうしてシュールな笑いで笑うのか?という疑問が絶えずつきまとう。そしてそれは、「笑いのツボとは何か?」という疑問でもあり、同時に「笑うとは何か?」という根本的な疑問でもある。

僕の笑いの原点は、(実際には違ったとしても)「笑い犬のシリーズ」であり、特に内村光良が醸し出す独特な空気感と”間”、ひ弱なキャラクター等々で、笑いすぎて呼吸困難に陥り死を覚悟したことが幾度もあった。一生分の笑いをあそこで奪われたかのようにも感じる。

「笑い」や「泣き」は、脳が「きっとこうなるだろう」と予測していたモノが、そうでなかった場合の落差によって起こるという。脳は僕らが思っているよりも単純で、矛盾を嫌う。もしも脳内で矛盾が起こってしまった場合、脳は「それっぽい言い訳を(僕らの意識とは無関係に)捏造してしまう」のである。有名な実験として、HMという海馬を摘出した人物の例があります。記憶を司る海馬を摘出しているので、HMは記憶ができない。そして、その有名な実験とは、HMと握手をするときに電気ショックを与えるというモノ。HMは記憶障害なので電気ショックのことを忘れてしまう。しかし、同じ人ともう一度握手をしようとすると、電気ショックのことは覚えていないけど、それでもその握手を嫌がる。つまり、この実験は、記憶と感情が別モノであるというひとつの証明でもあるのですが、もっとおもしろいのは、HMに握手を拒否した理由を聞くと、「手を洗っていないので、失礼だと思ったから」と(HMにとっては無意識的に)嘘をつくのです。これはHMの意識とは関係なく、理由もなく握手を嫌がったこと(=矛盾)を説明するために、脳がとっさに嘘をついたということ。脳は、僕らの意識とは関係なく、嘘をつく。

「笑い」や「泣き」も同じ原理だそうです。例えば漫才などで、「こう来る」と思っているところに「予想外のボケ」が飛んでくると、笑うわけです。脳にとって予想外は大きな矛盾であり、その矛盾を解決しないといけない。だから、「笑う」。「泣き」も同様に、「予想外の展開」が来ると、泣くわけです。例えば、親しい人が死ぬと涙が溢れるのは「今後もずっとこうだろう」と脳が予想した未来が、大きく変わってそこに矛盾が生まれるから。「笑い」や「泣き」は「あ、この矛盾という違和感は、笑ったから、泣いたから、生まれたのだな」と脳が自分自身を納得させるための生理作業。であるならば、シュールで笑う、とはどういう仕組みだろうか?

 

(僕にとっての)シュールの神さま、error403という方がいる。

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ノイズ【error403のオチとは:108】 — 夕刊ガジェット通信:@nifty

天使と悪魔【error403のオチとは:111】

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あとは、

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とか。

シュールな笑いの「あとからジワジワ来る」という感覚も、予想外の落差を埋めるためなのだろうか。落差を埋める、というよりもむしろ「落差云々どころかもはや全体的にわけがわからない(けど、なんとなくわかるような気がする)」という脳処理機能のオーバーフローによって生じている笑いなのかもしれない。理解しようとする、その脳の健気な努力が一種のタイムラグとなって「あとからジワジワ来る」のだろうか。

さて。ここまでずっと「僕はなぜシュールな笑いで笑うのか?」という疑問について理由を考えてきたのだし、人間の機能としてその理解も出来たのだけど、冷静に考えると、「じゃあ、どうしてシュールな笑いが"好き"なのか?」という根本的な疑問には全くたどり着いていないことに、ここまで連々と殴り書いてようやくふと気付く。笑うのはわかる。じゃあ、なぜ好きなのか。わかりません。