ヒーロー見参!!

PS:意識より愛をこめて

爆弾をどうやって処理するのか?

ブログって楽しいなあーと思って、ほかの人の文章(ブログ)はどういう感じなのだろうか?と探索してる。僕好みのブログもいくつかあるんだけど、時々むかつくブログもあって(笑)打算的なブログはなんか嫌だなあ、と思うんだよね。お金のために始めるブログとかもうね、可愛くいえば「なんかむかつく」だし、汚い言葉でいえば「反吐が出る」なんだけど、言葉・文章好きとしては笑止千万!てなわけで。文章を書くことが、言葉を選ぶことが大好きだから、その喜びが少しでも伝わればいいなあ、と思っている。だからといってそれを言葉で伝えるのはこれまた野暮なことなので、なんというか、文章を書く姿勢や雰囲気でそれが伝わるように頑張ろうと日々思うております。

打算的なブログの話だけど、自分の無意識にある核心を、「これ好き!」という核心を、どうやってこの現実世界に伝えるのか?ということが大事なのであって、まず先にどうすれば伝わるか?(=儲かるか?)ということを追求するのは、まあ順番が違うよね。大事なのは、自分が抱えてしまった爆弾をどうやって処理すればいいのか?という焦り。爆弾を持ってもいないのに、その処理の仕方を考えても意味がない。爆発を下手に落とすわけにはいかないので、どうしても手持ち無沙汰でぽかーんとしちゃうんだけど、それをどうやって社会に対して落とせばいいのか?ということ。爆弾処理の手段としてブログはあるべきであり、個人的には爆弾がブログであることがベストなのだけど。その落とし方を僕もそろそろ真剣に考えた方がいいかもなあーと思いつつ。この世界には素敵な文章というモノが確実に存在していて、そういう文章を書いてみたい!と切に願うわけです。ブログ徘徊をしていたら、「ああ…この人は文章を書くのが好きなんだろうなあ」とじわーと伝わってくるブログがあって。それは、朝焼けの輝きのように美しく暖かく希望に満ち溢れた文章で、あるいは昼下がりのように時が止まったかのようなゆったりとした優しい文章で、こういう柔らかな文章は多くの人にとっても心地よいのだろう、と思うんだけど、同時に「僕には無理だなあ」とも思う。なんというか、オーガニックなお腹に優しい雰囲気は正直、反吐が出ると言いますか(笑)、残念ながら僕はどうにもひねくれ者なわけで、じゃあそのひねくれ者の言葉でも刺さることはあるのだろうか?というところに行き着くんだけど、やっぱりそれは伊藤計劃の文章が素敵!という結論に至るわけで。

てか、「なんだけど」や「なわけで」というフレーズが好きなので多用しちゃってるんだけど、もう少し使いドコロを考えるべきというか、文章の締めどころをちゃんとしないといけないですね。…どうにも、断定口調が苦手なんだよなあ。てか、「◯◯なあ」もよくないよね。もうちょっと研究しよう。

 

さて、文章好きとして、最後に2つほど理想とする文章を載せておく。

まずは、ナショナルジオグラフィックという雑誌を読んでいて、偶然出会った文章。

池澤夏樹という作家さんのシビれるほど熱い文章です。

人はなぜ死ぬのか、と問うことはそれ自体が傲慢だと思う。目に見える範囲で、世の中に生きていて死なないものがあるか。(中略)人はなぜ死ぬのか、と問うのは自然死や老衰を想定しているからである。環境を自分たちに都合よく変えてぎりぎりまで寿命を延ばした特異な生物だからこそ言えることなのだ。どこかで運が尽きれば、最初からさずかった寿命などとは関係なく一瞬にして生は終わる。(中略)そう言ったところで、目の前に広がる瓦礫の光景が慰めに変わりはしない。多くのいのちが失われたことが納得できない。破壊と死はやはり理不尽なこととしか思えない。それは我々が人間だからだ。このかぎりない幸福とさまざまな不幸に満ちた我々の人生をガゼルやチーターなどと比べられてたまるか。まして鮭の子などと。この生は特別、他の何百倍も価値がある。だからそれを失うのはかくも悔しい。


そして、ちょっとマニア向け(僕は大好き!)な文章を。とある映像作家さんの文章で、彼女の文章はどれも素敵で、彼女の感情にぐいぐいと引き込まれるような感覚で、どことなく自暴自棄で可愛げのある性格が滲み出るよう。文章を書くのが好きなんだろうなあとひしひしと伝わってくる感じがすごく好き。なんというか、言葉が止まらないというか。今、改めて見直して「ああ、死にてぇ」とか思うほどに素敵な言葉を持っている文章です。

数日前に女の映画監督だけで集まって作られたオムニバス映画を観にユーロスペースへ行った。その映画を観たあとにすげーむかむかしてしまってそれは内容云々とかではなくてもっと感覚的なもので、アタシは終電間近のマクドナルドで本当は言葉なんて出ないくらい泣き叫んでしまいたい気分になっていた。でも隣には知人がいたしマクドナルドのやっすいコーヒー片手に泣き叫ぶのも癪に障るから悔しいけど、少しの間だけ心をじっとさせてみた。でも心なんてじっとさせることが出来るわけでもなしに、ううんと仕方なく左隣にいる知人の性別に感謝する日がやってくるかもしれないと思い直し、そのうちに映画のことなんてどうでもよくなってコーヒーは黒いなあ、なんて思っていた。