ジョセフ・クーデルカ展@東京国立近代美術館

美しい絵画や不思議なかたちをした現代アートのような王道芸術に対して、写真という芸術はちょっとだけ違う喜びを与えてくれる。それは、僕らが何気なく通り過ぎている現実にも実は美しい瞬間というモノがあるんじゃないか、と期待させてくれることだ。僕の中での「写真」は、毎年6月に開催される「世界報道写真展」から始まり、去年の「アンドレアス・グルスキー展」で衝撃を受け、そして先日の「ジョセフ・クーデルカ展」で惚れ込んだ、そういう芸術だ。

 

ジョセフ・クーデルカチェコ・スロバキアの写真家。元々は、航空技師であったが、20歳頃から写真を撮り始め、プラハの劇場での撮影活動を経て、29歳でプロデビュー(こういう実力者が何歳で世間から認められたか?というのをいちいち確認して、安心するのやめたい)その後、プラハ侵攻の様子を写真に収め、「ジプシーズ Gypsies1962-1970」や「エグザイルズ Exiles 1970-1994」を発表している。「クーデルカ展」が開催された東京国立近代美術館は、僕を芸術の世界に引きずり込んだ「ジャクソン・ポロック展」や、無意識の自分という存在を気付かせてくれた「フランシス・ベーコン展」など、衝撃的な出会いの多い美術館なので、ちょっとした期待があったりもした。しかも、僕の大学はキャンパスメンバーズなので割引が適用されて、驚きの250円だった(←むしろ、もっと払いたいレベル)

 

「ジョセフ・クーデルカ展」は、250円の展示会じゃない。

少なくとも、僕にとっては。

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この写真は、ジョセフ・クーデルカの作品のひとつで、これを朝日新聞か何かで見て、「あ、すげえ」と思い、閉展前日ギリギリに滑り込んできた。正直、行っといてよかった。そう思える美術展は素敵である。アンドレアス・グルスキーもそうであったように(その手法は違うけれど)、彼らは現実世界の切り取り方が絶妙で、「世界はこんなにも美しい瞬間に満ちているんだ」と期待させてくれる。僕らは(というか、僕は)この世界の美しさに気づいていない。ちょっとだけ見方を変えれば、退屈な日常の風景もきっとワクワクと驚きにあふれたモノになり得るはずだ。美しい構図、あるいは脳がしっくりと来る幾何学的な組み合わせがこの世界にはきっとあって、アンドレアス・グルスキーもジョセフ・クーデルカもそれを抽出してくるのが上手い。ジョセフ・クーデルカで言えば、初期作品に見られるような地平によってアクセントを置く手法が素敵で、「ジプシーズ」のシリーズを経て、とある対象を軸にして地平や境界をその背後に配置する手法がすごくいい。対象物の左右、あるいは上下によって別の世界が広がっているかのような錯覚感。現実を写し撮るはずの写真において、まるで絵画のようなファンタジーを演出してみせる感覚は、ジョセフ・クーデルカが魅せるひとつのトリック。プラハ侵攻という事実を、ファンタジーな一瞬と共に撮影することで、悲惨な現状ではあるが、そこから目を背けることを許さない魔力を秘める。

 

世界は意外と美しいかもしれない。

今年も東京国立近代美術館は僕好みである。