自分と相手を考える

自殺は残された者のせいです。
死ぬ前に気づかないといけない。すぐそこにあるし、ここにもある。常に。
国やひとごとにするな。
もし、あらゆる「自分」が隣人を救えば自殺者は0になる。僕は仲間を見殺しにしない。
僕は仲間のいざというときには、駆けつけたい。
だからfacebookにおいても軽はずみに見ず知らずの者と繋がりたくない。繋がるということは僕にとっては助け合いだから。
助けるし、助けろ。

最近知り合った画家の方の言葉。

ふらりと寄った忘年会で、偶然知り合ってその帰り際、「Facebookやってるから今後も繋がろうよ」と言ってくれた。僕にとってそれは当然で、つまり飲み会に行って多くの方とfbで繋がることは僕にとっては思考を挟む余地すらないほど当然で、いつも通りに繋がった。でも、そうじゃない人もいるっていうことを知るべきだった。

自分の行動ひとつひとつ、他人の行動ひとつひとつ。それらに意味を見出すことを常に意識しないと、誰かを殺してしまうかもしれないし、誰かの覚悟に気づけないかもしれない。常日頃から多くのことを考えている人と接するときに、自分自身もそれをしないということは失礼に値する。自分の言動にも、他人の言動にも、もっと丁寧に接することを意識する段階に、今、僕は立っている気がする。

 

自分の感情が動くモノにもっと感謝しよう。