ルフィが勝手に動くとおっしゃる尾田栄一郎さん

大人気漫画『ONE PIECE』の作者・尾田栄一郎は、「ルフィたちが勝手に動き出して、それを私が漫画にしているだけ」というような発言をしているとか。あるいは、目を瞑ってもスリーポイントシュートを決められる三井寿とかの天才系シューターとか。偶然にも「漫画」というジャンルでの喩え話になってしまったが、この手の天才は他のジャンル・業界でも存在している。ダンサーや職人、芸術家、スポーツ選手などなど。「身体が勝手に」系の天才は、生まれ持った天才と思われがちだけど、そうじゃない。そんなことを、イメージが勝手に浮かぶフランシス・ベーコンから始まり、物語論として『知の編集工学』と『新しい主人公の作り方』という2つの本を読んで思い始めた。

新しい主人公の作り方  ─アーキタイプとシンボルで生み出す脚本術

新しい主人公の作り方 ─アーキタイプとシンボルで生み出す脚本術

 

 

 『知の編集工学』については、終盤あたりで一気に物語論へと突入するわけだけど、そこで述べられているのは「物語の母型」について。そして、『新しい主人公の作り方』では、心理学者カール・ユングが提唱する「アーキタイプ(元型)」について触れ、人々の深層心理に訴えかけることのできる「物語の元型」があると書かれている。つまり、物語には法則性というか、定石というか、そういう「型」が存在していて、それをベースに物語の展開を決めて、その上にキャラクターや世界観を配置している。上記2冊を読んでみて、その「物語のアーキタイプ」をしっかりと自分の中で呼吸をするがごとく思考の奥深くに根付いてさえいれば、物語は勝手に進んでいくのではないか。

これは「直感」の話しであり、「無意識」の話でもある。

ダンスにしても、絵を描くことにしても、何かを作ることにしても、その作業を繰り返し繰り返し行なってきた者は、その作業が無意識のレベルで染み付いている。少し前にフィギュアスケートの浅田真央選手が試合前にコーチに言われた言葉として「今までやってきたことは一度忘れて、思う存分滑りなさい」というような言葉があったのだけど、気が狂うほど練習してきた者にとってスケートはもう身体に染み付いていて、その上で表現力や楽しむ心のようなモノが上乗せされるのではないか。

「行為」自体を極めた人たちが、その先の「表現」に意識が向かうとき、そこでようやく人々の心を奮い立たせるような傑作が生まれるのかもしれない。呼吸をするがごとく「行為」を極めることは、とてつもなく時間と労力がかかることであり、その努力をしてきた者が「天才」と呼ばれるのだろう。