千夜千冊

先日、伊藤計劃の「第弐位相」が読み終わってしまったので、ちょっとした暇つぶしの道具をどうしようかと考えていたのだけど、良いものが見つかった。松岡正剛の「千夜千冊」である。fbのプロフィールにも「細美武士-伊藤計劃-松岡正剛-フランシス・ベーコン」という4人の名前を、自分の人生観に影響を与えた人たちとして書いてるんだけど、そのうちのひとりが松岡正剛さん。ワンピースのルフィみたいに「剣士とコックと、医者、航海士、音楽家がほしいなー!」みたいなノリで7人くらいの人物を挙げてもおもしろそうだなあ、といま思ったりもした、という話は置いといて。

松岡正剛さんは「日本文化」と「編集工学」、「圧倒的な知識量」のひと(という認識)。今、松岡さんの「知の編集工学」を読んでるんだけど、これがまたむちゃくちゃおもしろい。他の書籍で、「数寄者(=好き者)」の話をしていて、それが僕の思う「これ好き!」を極める生き方ともしかして重なっているんじゃないか、と思ってたんだけど、実際にかなり近いし「編集工学」にも繋がってきてるし、もっと言えば次の章で「物語」にも繋がってきて、もうウハウハ。楽しい。ずっと「物語」にはSFや小説的な物語としても、キリスト教などの宗教・神話が人々の心を捉える求心力としても注目していて、それが「編集」と「物語」で繋がるあたりやばい。

「人生は編集だ!」なんていうけど、まさにそうだなあ、と理論では理解し始めている。「編集」はざっくり言ってしまえば取捨選択なわけで、あるひとつのテーマを編集するときは、大脳辺縁系レベルでの興味関心・好き嫌いでその「取捨」をしなければならない。人生だって一緒。日々の食事や友人、買う服や趣味も、そういったすべての「取捨選択」によって、その人の人生が築かれていくわけです。人生は取捨選択(=編集)の結果であり、作品とも言っていい。だから、人生という作品であり、話を飛躍すれば編集は、人生は、アートだ、と。村上隆は「アートは、世界に唯一の自分の核心を提出すること。自分の興味を追求・究明すること」と言っていたけど、「編集」によって取捨されたモノがアートなのかも。

松岡さんは、「編集」をするとき、ある種の無意識の状態を意識的に作っているようで、この無意識こそ大脳辺縁系であり、人の興味関心・好き嫌いなわけです。で、その好き嫌い=数寄者(日本文化)であるし、アートでもあるし、って感じでそれこそ僕の興味関心がすべて繋がってきてるのがものすごくおもしろい。(世の中のものは自分の都合よく解釈できる or 脳みそという分野に行き着いているあたりそりゃ繋がるわ、という話は置いといて)

 

で、松岡正剛である。(話が長い)

そんな感じで、松岡正剛さんがすげーな、と思っていて、なんかこうランダムに知識を増やしたいなあ、という想いもあって、伊藤計劃の「第弐位相」が終わったこともあり、ようやく手を出すことに決めた「千夜千冊」。ひとつひとつが重い上に、現段階で1528もあるというのはなんともハッピーな話である。1と2をさっそく読んでみたけど、扱っている内容もさることながら、文章が上手いので参考になる。知的で詩的で素敵なのである。