詳しいことはもうかっこよくない

少し前に、facebookをぼっーと眺めていたら、「社会人なってからモテる人とモテない人」についての投稿があって、それがすごく腑に落ちて、それ以来その投稿者のページをいいね!して、時間があるときに過去の投稿を読んでる。それはBar Bossaというバーのfacebookページなんだけど、そのバーのマスターの自論がおもしろくてね。今日の投稿もおもしろく、ちょっと大事かもなあと思ったので、ブログにも書き残す。

簡単に言ってしまえば。オタクの話です。

オタク=これ好き!の権化で、それこそが人を幸せにするんじゃねえかって思う僕としては、その「これ好き!」という文化がなくなることは、ちょっと悲しく、そして焦りがある。この前提を踏まえて、どうすべきか、と心に止めておく必要がある気がして。

 無駄に詳しいのはかっこいい!信仰としては、悲しいなあああ。

 

20年くらい前、ビデオがVHSテープだった頃、映画好きな人がゴダールや2001年宇宙の旅なんかを1万円とかするのにビデオテープで買ってましたよね。あの時、「へええ。レンタルですまさないでビデオテープを買うなんてすごく映画好きなんだね」って思いましたよね。

今のCDってそんな感じらしいんです。「へええ。音楽なんてどこかから無料のをダウンロードすればいいのにCD買うなんて音楽好きなんだね」って感じです。

そしてさらによくよく聞き取りをすると「音楽が好き」っていうのが、もう別にお洒落じゃないそうなんです。昔はちょっと年上のお兄さんとかで色々と知らない音楽を教えてくれたら「かっこいいなあ」って憧れましたよね。そういう感じじゃないみたいなんです。

それを痛感したのはお店で、あるレコードをかけてた時、「林さん今かかってるの何ですか?」と言われて、「これはオスカーピーターソンの~」って答えよう としたら、彼女の友人がiPhoneのアプリを使って「サリーズ・トマトですね。演奏はオスカーピーターソン、カナダのジャズピアニスト。作曲はヘンリー マンシーニティファニーで朝食をのサントラに入ってる曲ですね」と言っちゃったんです。ええ、もう音楽が詳しいのってお洒落でも何でもないんです。

それでも音楽にはまってて、ずっと音楽のことばかり考えている人たちはまだたくさんいますよね。あの人たちは要するに「電車が好きな人たち」と同じ存在なんだそうです。別に音楽に詳しくてもかっこいいというわけではないんです。

だから昔は「音楽、どんなのが好き?」っていう質問が「君のセンスはどうなの?」という質問でしたが、今は「電車って何が好き?」っていうのと同じなんです。オタク同士の狭い世界の会話なわけです。

こういう話をすると「でもヘッドフォンで音楽を聴いている人ってすごくいますよね。音楽人口そのものはすごく増えているんじゃないでしょうか」ということ を言われます。あれは要するに音楽が特別なものではなくなったんです。毎日ネットを利用しているからって別に「ネットオタク」って感じじゃないですよね。 音楽が無料になってアクセスしやすくなったから音楽を聴くのが一般的になっただけなんです。だからこそ、もう音楽を聴くというのがお洒落じゃなくなってい るんです。

要するに「インターネットで誰でも入手できるもの」がもうお洒落でも何でもないということなんですね。

          ※

先日、とある編集者さんに、「音楽の話を書かせて下さい」と提案してみたんですね。

すると、「うーん、音楽って読者に受けないんですよねえ」と言われました。ちなみにその方自身は音楽は大好きな方なのですが、プロフェッショナルな編集者として「音楽はちょっと…」という意見だったのでしょう。

実は僕も、このFBで「今、世界的に同時進行で始まっている音楽の流れ」のようなものを何度も書こうと考えたのですが、登場するアーティスト名がどれも一 般的ではないので、その記事自体がほとんどの方に理解してもらえないだろうなあと思って、書くのをやめてしまいました。

昔は、読んでいる人が誰も知らないようなアーティストの名前をいくつか出して、話をどんどん進めるというのが、カッコいい時代というのがあったと思うんです。「このくらいの話題はついてこれないとダメだよ」みたいな文章というのでしょうか。

でもたぶん、今はそれがカッコ悪いんですよね。音楽や映画や小説や美術に詳しくて、話の中に難しい用語を入れたり、あまり知られていないアーティストや作家の話を引用する感じが「なんだか知ったかぶりで面倒くさい奴」という印象があるんだと思うんです。

もちろん昔も「面倒くさい」ってほとんどの人が思ってたのかもしれません。でも、今は「クリック数」と「いいねの数」というのが見えるから、やっぱり「面倒くさい」のはあんまり人気がないんだなあって目に見えてしまうんです。

それよりも、もっと表層的な「ドキッ!」とする記事の方がクリック数が増えるのは当然なんですよね。やっぱり僕もついついそういう「ドキッ!」を書いてしまいますし。

でもやっぱり時代的に「詳しい」のがカッコ悪いんだとは思います。だって、検索したら誰よりも詳しい世界がそこにあるのですから。

先日、cakesの記事で「ジョン・チーヴァーの小説を読んでいたら」と書くときに、すごく悩みました。「あるアメリカの小説」で良いのではないのか。 「ジョン・チーヴァー」ってちょっとスノッブで今の時代としてはカッコ悪いのではないのか。じゃあ「司馬遼太郎」ならありなのか。「コナン・ドイル」なら ありなのか。「ガルシア・マルケス」ならどうなんだろう。とか本当に悩みました。

なかなか難しくなってきました。

         ※

という話を2回ここで書いて、ずっと「音楽について語る」ということを考えています。

というのは僕は相変わらず毎日、音楽を聴いて、音楽について考えて、音楽について友人達と楽しく話しているからです。

そして僕が他に毎日、何について楽しく友人達と話しているかというと、「恋愛」と「飲食」の話なんです。

恋愛はもちろんセクシーな話から、どうやって好きって伝えるかって話で、飲食の話は、最近食べたお蕎麦にのってたお葱が緑だった話や、美味しいチョコレートの話だったりするわけです。

僕は恋愛と飲食と音楽のことしか話していないんですよね。これは「気持ち良いこと」について話しているんです。たぶん。

気持ち良いことについて話す。