共感覚というマイトレンド

「おもろい本ないかなー」と図書館をブラブラしてたら見つけた「アートと音楽」という本。借りてから気付いたけど、以前に行った「アートと音楽」という展示会の延長線上というか、その書籍なのね。

アートと音楽 ──新たな共感覚をもとめて

アートと音楽 ──新たな共感覚をもとめて

 

 この「共感覚」という言葉、以前から好きでして。伊藤計劃が「民族浄化」という言葉を褒めた時に「異質な世界で使用される、ぞっとする迫力を持った言葉。」ということを言っていたけど、(異質でも、ぞっとする迫力でもないけど)それに近いような一種の憧れのような「共感覚」。実際は「なんかすごそう」ってことなんだけどね。

「音楽を見る。アートを聴く」ことが共感覚で、音楽とアートの境目がなくなってきている現状において、その組み合わせを追求した先には共感覚の世界があるかもしれない。あるいは、目が見えない人でも絵画(アート)を耳で楽しめるかもしれないし、耳が聞こえない人も音楽を目で楽しめるかもしれない。(そういえば、「アートと音楽」の美術展で、目が見えない友人に(恋人だったかもしれない)この作品はどういったかたちの作品か、を説明している光景に出会ったことがある。その光景がどこか暖かく感じると同時に、目が見えない人は絵画を観ることができないというあたりまえのことに気付いた。それ以来、意識しないけど心の何処かでひっかかっていたのかも。)あるいは、音楽は理屈抜きで「いい!」と心が感じるのに対して、アートは(特に現代アート)難しくあまり一般受けしない。音楽の力がすごいことは自分も実感しているからこそ、音楽的な絵画ってないものか、と考える。そういう視点からの「アートと音楽」というテーマであり、共感覚を知る必要性は感じていた。

もっと言えば、言葉によって物事を考えることには限界があると思っていて、イメージで思考するために「共感覚」は、ひとつの手がかりになるんじゃないかと直感した。この2つがなんとなく繋がりそうだな、と。アインシュタインは、イメージによって思考することで相対性理論を考えついたらしい。あるいは、天才とも言われるサヴァン症候群(特に、記憶力に長けた人々)は、数字をイメージとして捉えて暗記しているらしい。

ぼくには数字が風景に見える

ぼくには数字が風景に見える

 
共感覚者の驚くべき日常―形を味わう人、色を聴く人

共感覚者の驚くべき日常―形を味わう人、色を聴く人

 

 

ということで、借りた2冊。どこまで共感覚は研究されているのか、知りたい。