僕のライフワーク

考えよう。六本木ヒルズ

僕が人生を通してやりたいことってこれだなあーと思った。

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六本木ヒルズを中心に行われている「考えよう。」

そのプロジェクトの意図はこれ ↓

 

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僕の場合は「想像しよう。」なんだけど、これをアートという分野でやりたい。

例えば、瀬戸内海の豊島美術館のように。例えば、ダミアン・ハーストの作品のように。キレイなモノ・おそろしいモノは人を惹き付ける。その上で、何かを「想像させる」ような仕組みを取り入れる。豊島美術館は「自然の美しさ」であるし、ダミアン・ハーストは「死」である。現代アートは、わけがわからないものが多くて嫌厭されがちだけど、それは現代アートと美術を同じものだと思って鑑賞しているからで、美術は理屈抜きで感動できるものである一方で、現代アートは自分の頭で何かを想像するためのきっかけでしかない。現代アートを観て、そこから何かを感じ取って、自分の頭で考える。そして、感じ取る何かは人によって違う。先週観に行った「うさぎスマッシュ」展は、まさにそれだった。例えば、オーギュスト・ロダンの「考える人」のようなポーズでウサギが考えている「考えるうさぎ」というアート作品があったのだけど、あれは鑑賞して感動するモノではなく、「このウサギは何を考えているのだろう?」と自分で想像するのがおもしろい。僕は環境を汚染する人間について考えているのかな?と思った。ロマンティックな人だったらこのウサギも人間と同じように好きな人のことを考えているのかもって思うだろうし、食いしん坊な人だったらこのウサギは今晩の食事について考えているに違いない、と思う。人々が何かを考えるきっかけとしてのアート。そして、それはつまり質問(クエスチョン)。アートを通して質問を与える、あるいは突きつけること。

それは映画も同じ。僕は伊藤計劃の言葉が好きなんだけど、

ぼくとあなたはちがうということ - 伊藤計劃:第弐位相

映画とは、そこにただある映像に過ぎません。そこから何を持って帰るかは、われわれに任されています。逆に言えば、映画を観て得られるものは、その本人の感性や知性のレベルに見合ったものでしかない、ということです。

映画を観て、そこから「質問」をくみ取って自分なりに想像して答えを出す。その「質問」に気付けるかどうかは感性や知性に依存しているけど。あるいは、鑑賞者が気付く「質問」は、人それぞれで、そこに優劣はないかもしれない。でも、映画(あるいは芸術。もっといえばアニメも小説も、人生も)ひとつだけでも、そこからより多くのモノに気付きたいし、多くのモノを得たいじゃないか。それはつまり、究極的には、道に咲く小さな一輪の花を観て、そこに何を見出すか。花や草花、自然を慈しみ、それだけで感動して生きる意味・楽しさを見出だせるなら、それこそ「豊かな人生」だと僕は思う。「感動させようとするモノ」を観て感動するのではなく、なんでもない日常の一コマに感動すること。それこそが豊かさだと。

だから、次の映画からは、自分の「好き」と同時にその映画の「質問は何か?」を想像してみようかな。自分が観た作品の「質問」を共有する。その「質問」の上手い下手は確実に存在すると思うし、その「質問」が上手い作品を多くのひとに広めることを自分のライフワークとして考えていきたい。