老人として生まれ、赤ちゃんとなって死ぬ
観始めてから気付いたけど、ベンジャミン役はブラピなのね。デヴィット・フィンチャー監督「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」。この映画は、監督がデヴィット・フィンチャーであると知るまえから観てみたかった映画のひとつ。だって、「80代で生まれ、徐々に若返っていく男」の話なのだから、おもしろそうだなって思いますよ、そりゃ。歩くこともできなかったベンジャミンが、バイク乗り回してるシーンはちょっと笑ったし、7歳で(だったよね?)上司の船長に売春宿へと連れて行かれて、そこで快楽はお金で買える(笑)と学んだシーンも笑った。老人→赤ん坊となる人生が他人と違うという葛藤にもうちょっと悩まされてもよかったのになーとも思うけど、映画の途中で思ったのは、赤ん坊→老人でも、老人→赤ん坊でも、最終的に「死」が訪れることは一緒だから、そこまで葛藤もないのかな、とも思った。あるいは、この物語ではいろんな人が登場してはその舞台(映画でもあり人生でもある)から退場していったわけだけど、結局どんな人でも最後は死ぬんだよって伝えたい映画なのかな。
最初の戦争の場面で、兵士が逆再生で生き返るシーンとか、ニューオーリンズの公園でディジーが踊るシーンとか、最後の登場人物がひとりひとり登場するシーン(死んだ人も)は、現実の再現にとどまらない映画のおもしろさがあってよかったけど、全体としておもしろかったかどうかで言うと…微妙。「80代で生まれ、徐々に若返っていく男」の話というハードルが高くて、現実にはありえない設定だからそこでしか味わえない人生の深遠を見せてくれるというハードルが高くて、ちょっと飛び越えられなかったかなー。だけど、
ベンジャミン・バトン 数奇な人生 | :映画のあらすじと詳しい解説、批評
という他人の解説&批評を読んでみて、自分が多くのモノを見落としていることに気がつく。例えば、赤ん坊を置いて家を出て行ってふらーと戻ってくるシーン。ここで「ベンジャミンの心境に変化があったんだ」と気づかないといけない。
10年以上たってから戻ってきたベンジャミンがデイジーに会いに行った理由はそこにあります。ベンジャミンは1人世界を放浪するうちに孤独を知り、その孤独によって愛を知りました。
これに気付けるかどうかだなー。
そうか…ベンジャミンは孤独を知って、愛を知ったのか、と。
愛について考えないといけないねえ。