映画批評家の梅本洋一さんというひと

 

nobody39

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「最近、映画を観まくってる」という話を兄にしたところ、一冊の雑誌を渡された。それは「nobody」という映画批評雑誌で、しかも、その「nobody」という雑誌をつくった元編集長・故梅本洋一さんについての特集。梅本洋一さんのことはまったく知らなかったんですが、2013年の3月に亡くなってしまったよう。そして、その特集の最初の記事は、梅本洋一さんが昔に書いた「映画で思考するためには…」というもの。伊藤計劃の映画評を読んで、文章の上手さやひとつの作品から多くを読み取る知識や思考力、そして自分の価値観で映画論を綴ることにかっこよさを感じて、映画を観て(あるいは、ほかの表現媒体でも)感想を書くことに挑戦しているんだけど、その難しさを痛感したというか、感じたことを上手く言葉にする難しさもあれば、ひとつの映画を観ても何も感想が出てこない自分の想像力のなさにむなしさを感じていた。映画を観て、何かを思考すること。その難しさ。その方法論のような答え(というか、ヒント)が、「nobody」の梅本洋一特集にはあるような気がする。映画で思考するとは何か?映画批評とは何か?映画とは何か?

映画で思考するために人はどうすればよいのか?(中略)複数の人物と出来事を併置しながら、その間にある希薄な関係性を詳細に記述し、その推移を見守ること by梅本洋一

また、「問い(=question)」は自分の中でひとつのテーマになりつつあるので、映画における梅本洋一さんの「問い」論も気になる。映画=問いを生産し続ける装置。

映画で思考するために人は問いを生産し続ける装置、まるで、そこに『わたし』がいなくても、そこにいる誰かが『わたし』の代わりにその時間と空間を問い続ける装置ーーそれが映画ではないのか。『わたし』が『見聞き』するかもしれぬ『いまここ』を仮想し続ける装置、それが映画ではないのか。 by梅本洋一さん