孤独な男!

 

ミスター・ロンリー [DVD]

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物事に対するときの感性や気持ちの吐露がとても感情的で素敵な映像作家の方がいて、人間味あふれた言葉選びが文学としても上手くて個人的には彼女のファンなのだけど(最近、blogを全消去してて泣いた)、その方が大好きなハーモニー・コリン監督「ミスター・ロンリー」。マイケル・ジャクソンのモノマネをしてる青年と、マリリン・モンローのモノマネをしている女性が出会うとこから始まる映画で、冒頭の「誰もが自分が嫌いで、もっとかっこよくなりたいと思っている」という台詞を聞いて「これは僕のための映画かもしれない」と思ったりした。マリリン・モンローと出会ったマイケルは、同じように有名な誰かのモノマネをしている人たちが集まる古城に行くわけだけど、そこでもリンカーンとかマドンナとかのモノマネをしている人たちがいて。「有名人のモノマネをしながら生きている。有名人になりきって生きている」と言ってしまえば、ちょっと頭おかしい人たち、あるいは中二病のような痛々しさがある。けど、たとえばモノマネが比喩だとすれば、たいていのふつうの人たちも「こういう人間になりたい」と思って日々努力をしてるわけで、そういう意味でモノマネしている人たちと大差ないかな。ただ、この映画の描き方として、モノマネをしている人たちは、そうでない人たちから孤立している。終盤で、マイケルはふつうの人たちが暮らす世界に戻るんだけど、そこでは厳しい現実(たぶん死)を直視せずに馬鹿騒ぎをして生きているだけの人たちがいて、そういう人たちとマイケルを対比して、馬鹿騒ぎをしているだけの人たちを批判しているようにも思えた。あるいは、それは奇跡を信じ続けていたシスターたちに訪れる結末と同じかもしれない。一方で、ふつうの世界から逃げ出して古城で自分たちだけの世界をつくっているモノマネな人たちも、盛り上がってはいるけど、どこか寂しい感じもして。ふつうの人たちに向けたショーを開催しようと頑張っていたのも心の何処かで認めてもらいたかったのかなーと思うし、赤ずきんちゃんの「ショーを開催しても誰も来てくれないよ!」という叫びは、モノマネな人たちにとっては見たくない・考えたくない現実だったのだろうなあ、と。そして、彼らも最後の最後で厳しい現実を目の当たりにする。

あと、マイケルが「世界の流れが僕には早すぎるから、日々のことを録音するんだ」と言っていた。その録音のシーンで「世界中の人達へ 僕を変人と思い、考え方が間違っていると見ていた。孤独の異星人のように感じて人生の大半を過ごした」「世の中で普通と思われているようなことが理解できなかった。人が笑うときも笑えない自分がいる」と言葉を紡いでいた。(映画を見返して気付いたけど、上手く笑えないのところだけ現在進行形だ)個人的な考えとして、芸術家という道を進む人(進まざるをえない人)は、どこか普通ではない価値観で生きていると思っている。だからこそ、芸術は価値があるんだけど、それが理由で普通の世界から排除されてしまう。ハーモニー・コリンが好きな映像作家の人も、どこか浮世離れしていて(そして、それが魅力なんだけど)だからこそ、この映画に共感するのかもしれない。普通の人に戻ろうとするマイケルに対して、「今の自分は変わらない。何人も挫折してきた人を見た。マイケルはマイケルのままさ」という台詞。マイケル=君とも訳せるかな。人は変われない。君は君のままだ、と。それに対してマイケルは「自分が誰かわからないから探すんだ」と言う。

スリリングで時間忘れて見るような映画じゃないけど、老人ホームでみんなで踊っているシーンとか、バックウィートという子どもが馬に乗りながら「女が好きだ。鶏が好きだ。チキンとおっぱいを合わせたらチキンパイだ。セクシーだ」とか言ってるのがなんか可愛いですし(笑)、挿入歌の「The Hangman's Fee」も悲しいメロディーでかすれた感じがすごく好き。


Mister Lonely - hangman - YouTube

とか言ってたら、けっこう長いこと感想書いてたね。

それだけ気に入ったというか、自分好みだったということで。

結局、モノマネショーでマイケルが踊っていなかった(というか、古城の人たちの前では1回もマイケルのダンスをやっていない)というのも謎だし、おそらく映画の演出上の理由があるはず。全体的に理由のわからない描写・シーンもあったし、また観ると思うなあ。総評:好きな映画。