映画と美術館(2013/08/12)

■ Welcome to underground

アンダーグラウンド 2枚組 [DVD]

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恥ずかしながら、私はユーゴスラビアの歴史を知らなかったので理解できない(感情移入できない)場面がいくつかあった。「ベイグラード?ロシアか何かですか?(そりゃスターリングラードや)」というほどの知識量だったので。ということで、文明の利器Wikipediaで詳細を確認してみたのだけど、この映画の土台にあるユーゴスラビアの歴史を含めて複雑そのものだ、という印象。しかも、その複雑な歴史事実のうえにマルコの嘘と彼らの群像劇が合わさって、よりわかりにくいものになっているよう。「第三章 戦争」以降は、だれがどの立ち位置にいるのか、そもそも「なんでもういちど戦争が起こっているのか?」ということがわからなかったし、地下通路の存在理由と使用理由がわからず頭の上は???。第二次第戦後、ユーゴスラビアは内戦に突入したという歴史認識がなかったです、はい。改めて、ものを知ることは大切だなあと思ったり。

「芸術はウソだ」みたいな台詞が映画の中であったけど、真実と嘘(あるいは幻想)が入り乱れてるのでこれまたわかりにくい。夜9時頃から3時間ほどの長丁場な映画であると知らずに観始めたので、途中でうとうとしてしまい(笑)、集中力もなく(ごめんなさい)よくわからなくなったという可能性も(てか、それのせいや)けど、この映画に登場する人たちの表情は本音と建前を行き来し、それはつまり人間らしさなんだけど、それがとてもわかりにくい。不満気な表情だったのに突然嬉々として踊り出して、どっちがほんとうの感情なの?と思わざるをえない。しかし、人間なんてそんなもの。あらがえない大きな動きに翻弄し苦悩しながらも、それを表情に出さずに生きるのが人間。(これを書いてて表情は”表の情”でしかないことに気付く)人間とはかくも難しいものであり、人間を描く映画もまた難しいものである、と無理やりに結論づけちゃいたいような難しくわかりにくい映画でした。

「難解でわかりにくい映画」と言ってしまうのは簡単で、だけど、人々が音楽を鳴らし踊り騒ぎ、ヨヴァンが生まれて初めて太陽を見たシーンが流れ、死にゆく者たちがまた勢揃いし踊り騒ぎ、静かに表舞台から乖離していく様は、ユーゴスラビア消滅という史実を匂わせるに足る映画としての美しさがあるようにも思える。3時間の長丁場ゆえ再見があるかどうかわからないけど(笑)、もういちど観てみようかなと思っています。

■ グルスキーとポップアート

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「アメリカンポップアート展」と、

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「アンドレア・グルスキー展」に行ってきた。

夕方から美容室の予約(笑)をしていたので、「まあ、アメリカンポップアート展と同時にやってるグルスキー展、あわせて3時間あればいいかなー」と思ったのですが、これがもうね、大いなる誤算でした。どちらの展示会もすぐに観終わるだろう、だってそんなに興味のある分野でもないしそもそもポップアートってロジック(テキスト)重視だから美術としての良さってないからね、と。観始めて数分後、そんなこと思っててすいませんでしたと思うわけですが。

最初に展示されているロバート・ラウシェンバーグはあまりピンと来なくて(おい)、「まあポップアートはいつもこんな感じだし」みたいなん思ってたら、次はジャスパー・ジョーンズの登場ですよ。彼のキャプションとして「現実とイリュージョン」とか「そのために星条旗を使った」とか、そういう内容が書いてあって「どういうことやねん」とロバート・ラウシェンバーグ同様にスルーと眺めていたんだけど、彼の「セミ」という作品にはやられた。これは「赤」「橙」「黄」「緑」「青」「紫」がそれぞれ目立った抽象的な絵たち(6枚組)なんだけど、一見ランダムな配置に見えて色とフレームに統一性があった。そのランダムっぽいのに統一性があるせいで、宝物を見つけた子どもみたいなテンションになっちゃって、「こりゃすげえぞ」と。しかも、その色使い方は過去の作品にも登場していて、「ああ、ジャスパー・ジョーンズはこういう流れでこの作品に至ったのだな」とか思えちゃったりもして、しかもそれが最初に「え、どういうことですか?」と思った記号としての星条旗のモチーフが起源としてあるんじゃねえか?みたいなんもわかってきて、「この人おもろいなー」と思っちゃった次第であります、はい。

結局、ジャスパー・ジョーンズでテンション上がっちゃって彼のフロアーで持ち時間を使い果たしちゃって、ほかの方々の作品は見れなくて(笑)

入場料…(´・ω・`)とか思うんだけど、余裕のないスケジュール組んだの自分だし。そこは諦めてグルスキー観ますか、と後ろ髪を引かれながらも離脱。そして、このグルスキーがまたいいんですわ。映画は期待値0→めっちゃくちゃいい!という展開あんまりないけど、美術展はそういうのが多いから楽しいよー。やっぱりインターネットで眺めるだけじゃ伝わらないスケールの作品って(大きさに限らず)あるよね。

ざっくり言ってしまえば、写真(つまり、風景や日常)をまるで抽象画にように美しく魅せている、そして、その視点や技術がすごい。抽象画の美しさとはこういうことか、と納得できるし、芸術家たちはここを目指してるのではないか、とも思えるし、なによりも僕らがいつも見ている自然は、世界は、日常は、こうも美しいものだったのか、と再認識させられる。このようなパワーを持った力強い作品群で、美術館に足を運ばないとそのダイナミックなきれいさは実感できない。

■ 神はいつもそこにいるが、気付かないだけ

と、細美さん言っていたのだけど、それはつまりモノの見方の話なのかもしれない。グルスキーを通して、ふだんは何気なく通り過ぎている景色も、実は美しいものだったということがなんとなくわかってくる。グルスキーを観たあとに電車内から眺めたブロック塀に「あっ」と思えたのはおもしろい体験だった。美しいものとは結局、気持ちひとつで変わってくる。つまり、美しいものは私たちのすぐ近くにあって、それに気付けるかどうか。細美さんが言っていたことはそういうことなんじゃないか。

神という言葉を使うと、白ひげで白い装束をまとったおっさんをイメージしてしまうが、神=美しいもの、と考えればいくぶんか電波な意見とも違ってくると思う。日本は元々自然に神を見出すタイプの民族だったわけだし。