監視社会の東ドイツ。

善き人のためのソナタ スタンダード・エディション [DVD]

善き人のためのソナタ スタンダード・エディション [DVD]

「監視社会」好きとしては満足できる映画かと。第二次大戦中のドイツや日本ならまだしも、戦後の東ドイツ(ヒトラー亡き後)でも監視社会だなんて存在していたことにまず驚いた。大戦以降での「監視社会」は夢物語(悪夢?)か、あるいは未来社会である、と。

この「善き人のためのソナタ」は、わかりやすい描写が少ない映画でした。

静かな映画である、と。物語の中心であるヴィースラー大尉とドライマンを静かに描いている。特に、ヴィースラー大尉。ドライマン側と国家保安省側の両方の事情を把握しつつも、彼の感情は静かで、わかりにくい。しかし、ドライマンのピアノを聴いて涙を流すシーンが大きな転機であることは明白。僕は芸術が好きだしその力を信じてるから「やっぱり芸術は人を変える!」とか「芸術によってひとは人間らしさ(情け)を持ちえる!」とか思っちゃうんだけど、そういう解釈でいいのかな。

ふと、芸術を否定された地域から生まれた芸術が世界を変えるような物語を描きたいと思った。もうちょっと考えないといけないけど、おもしろそう。

 

真面目な人ほど社会に流されやすいのかな、とも。物語の中で誰よりも忠誠心のあったヴィースラー大尉と、邪な向上心しか持たないアントン・グルビッツ部長の対比がすごくいい。第二次大戦時におけるユダヤ人大虐殺は、真面目で仕事に忠実な人々が、残虐行為を嬉々として行なったのではなく、あるいはユダヤ人差別感情を強く抱いて行なったのではなく、やるべき仕事を「真面目に」行なっただけ(=結果、大虐殺が起こった)であるらしい。それに近い忠実さをヴィースラー大尉には感じる。自分が信じた(あるいは、社会主義であるべきと思わされた)主義をひたすら信仰するヴィースラー大尉。一方で、社会主義は出世のための道具であると考えるアントン・グルビッツ部長。この対比がにくい。

 

ヴィースラー大尉の哀愁がすごかったなーと今改めて思う。すごく真面目で献身的な社会党員だったヴィースラー大尉が、ひとつのきっかけで大きく、しかし静かに揺らぐのが世界の色が変わるかのような衝撃すらも感じる。いい映画だ。この映画のワンシーン(あるいは、ヴィースラー大尉の表情)を思い浮かべるたびに掴みどころのない心地よさが心に溢れる。もう1回観よう。

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演じるのは、「ウルリッヒ・ミューエ」。

 

この空気感を言語化することは難しいけど、ものすごく好きな映画。